【インタビュー】PULLING TEETH、『フッコーブシ』完成「生き方に忠実に、責任を取れる言葉」

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PULLING TEETHが5月13日、6年ぶりとなるフルアルバム『フッコーブシ』をリリースする。GRUBBY活動停止後、寿々喜(Vo&G)を中心にスタートしたPULLING TEETHは、スラッシーなギターリフ、植野泰治(B)の荒ぶるウッドベースとドラムを核とする3ピーススタイルで唯一無二のサウンドを築き上げてきた。もちろん1997年の結成からこれまでに数々の音楽的遷移はあるが、最新アルバム『フッコーブシ』の変貌はその比ではない。

◆「和を背負う」ミュージックビデオ

収録全13曲の歌詞は全編日本語詞となり、寿々喜のボーカルスタイルにも違いがみられる。2010年からスタートしていたという楽曲制作は2011年、東日本大震災に直面。宮城県石巻市出身の寿々喜にとってそれは生活にも音楽にも影響をもたらした。寿々喜曰く、その少し前から日本語でやってみたいという気持ちがあったという楽曲制作のキーワードは“演歌”であり民謡に代表される“節”だ。また、2012年に新加入した照井仁(Dr)のビートは、よりタイトによりソリッドに彼ら本来の烈しく刺激的なサウンドを研ぎ澄ましている。

“復興”という強い意志と膨大な熱量がタイトルに刻み込まれた最新作について行なった取材ではあるが、インタビュー中の3人は自然体で笑顔が絶えない。バンドのコンディションの良さが伝わってくるものとなった。終始穏やかなムードで行なわれたロングインタビューをお届けしたい。

   ◆   ◆   ◆

■変化っていうのではないですけど
■“演歌かな?”みたいのがあったんですよね

▲寿々喜(六弦、声)

──7作目のフルアルバム『フッコーブシ』が完成しました。前作『THRASH CATS CRISIS』から6年ほど時間が経っていますが、いつぐらいからアルバム制作に向けて動き出していたんですか?

植野:2010年から曲を作りはじめて、もろもろあって、これだけ時間が空いてしまったという感じですね。その間にドラムも変わりましたし。

──2010年からここまでの間に作っていた曲が、今回収録されているという?

寿々喜:震災の前年(2010年)にそろそろ曲を作ろうかっていうことで、2曲くらいアイデアがありまして、それが元になってますね。本格的に曲作りをはじめたのは、照井君が加入したのが…。

照井:2012年です。

寿々喜:それで2013年に、SLANGのKO君から「IN MY BLOOD RECORDINGSから出さないか?」というお話をもらいまして。本格的に曲作りをスタートしたのは2013年の暮れくらいからですね。

──KOさんとは、どういうきっかけで。

寿々喜:やりとりは全部、照井君のほうで。

照井:自分が加入して、話をもらったんですよね。気になってたんじゃないですかね、PULLING TEETHのことが(笑)。

──それまでPULLING TEETHとしてはKOさんやSLANGとの接点があったんですか?

寿々喜:SLANGとは対バンはやってないんだよね。もちろん札幌に行ったら、KOさんのKLUB COUNTER ACTIONにはお世話になるんですけど。バンドとして一緒にやったことはないんです。

──それは意外ですね。

寿々喜:自分は前のバンド(GRUBBY)の時にたぶん、札幌かどこかでお世話になったりしているんですけど。あとは個人的に、震災の時に鐵槌のドラムの千葉君経由で、KO君が援助物資を何回も送ってくれて。それを結構いただいていたんですよね。それで、KO君から誘いがあったというので、これは断れないなと。

──そこからどのようなお話を?

寿々喜:してないよね(笑)。あ、どこかで一回会ったな?

植野:新木場STUDIO COASTでイベントがあった時にご挨拶を。

照井:また、これが困ったもんで、寿々喜さんもKOさんも巨匠同士は話さないんですよ(笑)。人見知りなのかどうか、わからないですけど。だいたい俺が間に立たされるというか、巨匠2人の間に通訳のように入るというかね(笑)。

──照井さんが繋いでいるわけですね(笑)。今回のアルバムは、これまでの英語詞から全編日本語詞になって、バンドとしても変化がみえる作品です。ここに向かうまで、徐々に今の形になっていったんでしょうか。それとも、何かきっかけがあってこの形になったんですか?

寿々喜:2010年に最初にアイデアができた時点で、自分のなかで“演歌かな?”みたいのがあったんですよね。変化っていうのではないですけど、日本語詞でやってみたいなというのが。2011年に震災があって、これはやっぱりやりたいという気持ちが強くなりまして。そういう流れですね。

──英語詞だったものから日本語詞だったり、演歌のように日本的で叙情的なメロディラインへガラッと切り替えていくということは簡単な作業ではないですよね?

寿々喜:曲は新しく作るもので、それに対して歌い方を変えるくらいなので。そんなに難しくはなかったとは思うんですよね、振り返ると。

──そもそも寿々喜さんが、演歌にスポットを当てたのはどうしてだったんですか?

寿々喜:なんででしょうかね(笑)。まず前のアルバムの時に制作時間が短かったというのもあって、ダメだなって思った時があったんですよね。自分がやってることなのに自分を掴み切れなかった。それで、自然にできるようなことは何かと探してみたこともあって。演歌は、小さい頃から父ちゃんがテレビで観ていたりしてたので、“演歌か……演歌いいんじゃない?”っていう。日本語の作詞は初めてですけど、自分で責任を取れるような言葉しか使ってないんですね。これなら自分でも自分を掴めるかなって、そんな感じもしまして。

──バンドとしては、サウンドの変化をどう捉えていたんですか。

植野:“演歌が気になっている”ということは普段の会話から聞いていたんですけど、それをどういうふうにPULLING TEETHの楽曲へ落とし込むのかは、でき上がるまではわからなかったんです。ただ、“ああ、あの時言ってたのがこういう形になったんだ”っていう感じで。急に変わったという印象ではないんですよね。

──新しい要素が入ることで、3人でバンドサウンドを作り上げる作業も変わりなく?

寿々喜:特にはなかったと思いますよ。照井君は今回、初のPULLING TEETHでのアルバムになるのでわかりませんが、いつもの流れだったと思う。

植野:うん。普段通りのプロセスですね。まず、寿々喜さんが曲の原型となるギターリフだったりを持ってきて、「とりあえずドラムはこんな感じ、ベースはこんな感じ」っていうので、そこから自分で手を加えるものもあったり。もしもそれがイメージとかけ離れていれば、「もっとこうしてほしい、ああしてほしい」というやり取りがあるんですけど、その繰り返しで段々と仕上がっていくというカタチは変わらないですね。

寿々喜:そのスピードも、今回はわりと真面目に作ったよね。照井君が入ってからは、1年とか1年半くらいでまとめてますね。メンバーみんな、住んでいるところが離れているので、そんなに頻繁にスタジオに入ることもないんですけど。前のメンバーの時は年に5回くらいだよね? リハ入ったのは。

照井:そんなもんだったんだ?

植野:今回も、照井君は盛岡で生活してますから、どうしても3人で集まってせーのでやる時間は限られてくるんです。でも、その割にはやったほうですね。

寿々喜:毎月リハに入ってたくらいだからね。

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