【インタビュー】塩原康孝、情熱を全てエネルギーに変えて

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SCREWのベーシストとして活動していたルイが、塩原康孝としてソロ・アーティスト活動をスタートさせた。2014年12月にSCREWを脱退した後、彼はアパレル・ブランドの創設や舞台俳優に挑戦するなど、新たなフィールドで活動してきた。このまま音楽から離れてしまうのではと思わせる雰囲気もあったため、音楽活動の再開は朗報といえる。SCREW脱退からソロ第一作『overture』のリリースに至るまでの間に、彼がどんなことを感じ、どういう想いからソロ活動を行なうことを決意したのかじっくりと話を聞いた。

◆塩原康孝画像

――2014年12月にSCREWを脱退された後の活動は、2015年1月にアパレル・ブランド『RIOT PRESIDENT』の立ち上げから始まりました。

塩原:僕はバンドをやっていた頃から、アパレルに興味があったんです。SCREWで活動していく中で、自分の将来について考えてみた時に、自分ができることは本当にバンドしかないなと改めて思って、バンド以外のこともできるようになりたいという想いがずっとあって、やるならアパレルが良いなと思っていたんです。ただ、こういう言い方をすると語弊があるかもしれないけど、ヴィジュアル系のシーンはバンド以外のことに手を出すのはタブーみたいな空気があるから、実際に手を伸ばすことはなかった。でも、去年の春頃に、いろんなことを考える機会があったんです。その時に、一旦バンドというものからは距離を置いて、ずっとやってみたかったアパレルの仕事をしたり、バンドではない形で音楽に携わったりしたいと思ったんです。

――アパレル関連の仕事のノウハウなどは、あったのでしょうか?

塩原:いえ、もう知識も何も全くなかったです。経営なんてしたこともないし、強力なパイプとかもあったわけじゃなくて。グッズとかなら作ったことがあるけど、服を作って、その後どうするんだということも全く分からなかった。だから、ブランドを立ち上げることにして、自分で飛び込み営業をしました。資料みたいなものを作って、ダメ元で渋谷のいろんなところに行って、こういうことをやっていますと自分を売り込むという。方法は、それ以外にないと思ったんです。結局自分が動かないと、どうにもならないなと。そうやって、自分が作ったものを置いてくれる場所を地道に探していって。もう年末/年始は、ずっとそうやって動いていました。

――周りがいろいろなことをしてくれるミュージシャンという立場から、よく飛び込み営業というところにいけましたね。


塩原:たしかに、バンドをしていると持てはやされるじゃないですか。僕はバンドマン気質ではなかったのかもしれないけど、それが逆に居心地が悪くて。何でも人任せにすることに違和感があったんです。たとえば、スタッフさん1人に動いてもらうというのは、大変なことなんですよね。昔から頭では分かっていたつもりだったけど、今年に入って1人になってからは、誰かに時間を使って何かをしてもらうことだったり、お客さんにしてもお金を払って来てくれるということの有難さを実感させられることが多くて。それに、アパレルを始めるにあたって、何百人規模の社員を抱えた会社を経営している友達に相談したら、俺がここでなにか言うよりも、お前が自分でやったほうが早いと言われたんです。そうじゃないと、俺が言っていることは多分分からないと。それが、結構自分の中でデカくて。自分で動いて、自分で失敗しないと何も分からないなと思ったんです。

――心が折れそうになりませんでしたか?

塩原:それは、大丈夫でした。ただ、1人で外に出てみたら、自分は世の中のことを分かっているつもりだったけど、こんなに知らないことばかりなんだと気づきましたね。それに、なにかトラブルがあり、どう対処したら良いか分からないというような時に、バンドをやっていた頃は誰かに投げれば解決していたけど、今は自分で解決しないといけない。そういうところで、この数ヶ月間でいろんなことにチャレンジしてみて、知らなかったことを沢山知ることができました。バンドだけやっていたら見えないことがいっぱいあったなと痛感しています。

――良い人生勉強をされていますね。『RIOT PRESIDENT』は、どういう方向性のファッションを手がけているのでしょう?

塩原:キッズが着てくれそうな服です。ロック系ですね。僕は、そういうファッションが好きなので。服以外に小物とかも作っていきたいと思っていて、これまでにキャップとアクセサリー、iPhoneケースも出しました。

――自らデザインしているんですか?

塩原:しています。イラストレーターなんか使ったことがなかったのに(笑)。デザインだけじゃなくて、形にするところまで自分でやっています。グッズとかも昔はこうして欲しいと言えば、誰かが形にしてくれていたんですよ。今は最終的に製品にする時に整えてくれる人はいるけど、9割方は自分で仕上げています。

――名前だけ貸したり、アイディアだけを出したりするパターンではないんですね。『RIOT PRESIDENT』の製品は、どこに行けば購入できるのでしょう?

塩原:渋谷の『GEKIROCK CLOTHING』というところに置いてあります。あとは、基本的にネットですね。ぜひ、見て頂ければと思います。

――要チェックですね。以前から目指していた『RIOT PRESIDENT』を立ち上げた後、4月には舞台『黒き憑人』に出演されました。

塩原:それは、すごく斜め上から来た話でした(笑)。僕は2015年に入ってから音楽に関しては、いわゆる裏方みたいなことをしていたんですよ。曲を作って渡したりとか、カッコ良い言い方をすればプロデュースしたりとか。そういうことを数ヶ月間していたら、『黒き憑人』に関わっている友人に楽曲提供をして欲しいと言われたんです。引き受けることにしたけど、どういうものが欲しいのか分からないから、監督や脚本の人と一度話をさせて欲しいとお願いして。それで、一緒に食事に行った時に、「君、出ない?」と言われたんです。それで、“はぁ?”みたいな(笑)。演技なんて分からないし、勉強したこともないですし。でも、これも良い機会といえば、良い機会なのかもしれないなと思って。役者に転向するような気は全くなかったけど、経験の一つとして悪くないんじゃないかなと感じて。それで、その場でやりますと言いました。

――何事にもチャレンジしようという前向きな気持ちだったことが分かります。どういうストーリーの、どういう役どころだったのでしょう?

塩原:主人公がミュージシャンで、彼が組んでいるバンドのメンバーという役でした。それなら分かりやすいじゃないですか。ただ、頂いた役がメチャメチャ嫌なヤツでしたけど(笑)。台本を読みながら、こいつ超イヤなヤツとか思って(笑)。俺、こんな嫌なヤツとバンド組みたくねぇよ…みたいな(笑)。なんでそんなことを言うかなということを、主人公にずっと言うんですよ。そういう役でした(笑)。

――初めての挑戦にしては、ハードルが高いですね(笑)。それに、舞台の稽古の仕方とかが分からなかったんじゃないですか?

塩原:そう。初めての経験で、どういう風に進行していくのかも全く分からなった。最初に本読みをして、もう次からは立ち稽古なんですよ。だから、稽古場に行ったは良いけど、今日はなにをするんだろう…という状態から始まって。周りは舞台をいっぱい経験されている役者さんばかりだったので、それを見て覚えるしかなかったです。あとは、その場の空気で察したりとか。

――新人さんをリードする世話役的な人とかはいないのでしょうか?

塩原:いないです。それに、舞台を作っている人が、僕をあまりガチガチにしたくなかったらしくて。なにか感じたら言うから、思ったようにやってくれと。そういう入り方だったし、今まで自分がいたのと全く違う世界だからとまどいましたね。だから、自分が出ない場面とかもしっかり見て、とにかく場の空気を知るようにしました。

――ミュージシャンはPVの撮影などもするので、演技は経験があるようなイメージがありますけど、全くの別物ですよね。

塩原:別物です。ただ、人に見られるということには慣れているので、稽古中に恥ずかしさを感じることはなかったし、本番の時も緊張しなかった。セリフが飛んだりすることもなかったし。僕は、SCREWをやっていた頃も緊張したことがないんです。

――えっ、そうなんですか?

塩原:うん。SCREWに加入して最初のライブは、すごく緊張したんですよ。でも、それも2曲目くらいまでだった(笑)。バンドをやっていた時もそうだけど、本番に向けた下準備はしっかりやりますよ。でも、始まってしまったら、もうなるようにしかならないから。自分が変にガチガチに固めてしまうと、流れが崩れた時に合わせられなくなるということを、昔ライブで経験したことがあって。ライブにしても、舞台にしても生で見せるものだから、本番中に何が起きるかは分からないじゃないですか。何かが起こって流れがブツッと止まりましたという時に、昔は対応できなかったんです、気持ちに余裕がなさ過ぎて。たとえば、ボーカル・マイクが出ませんという時に、僕までアタフタしてしまう…みたいな(笑)。でも、なるようにしかならないと考えるようになったら、緊張しなくなった。その後そこからさらに進んで、なにかあった時にサッとそれをすくい上げるくらいの余裕がないと、ステージに上がって人前でなにかするということは出来ないなと思うようになったんです。

――肝が据わっているんですね。

塩原:実際、今回の舞台でもトラブルがあったんですよ。違うところでSEが出てしまって、芝居の流れが止まってしまったんですね。その時に、僕がその場で適当にデマカセを言って、場を繋ぎました(笑)。

――やりますね。ということは、役者も向いているのでは?

塩原:どうだろう?『黒き憑人』が終わった後に違う話も頂いたんですけど、舞台は拘束時間が長いんですよ。まるっと2ヶ月くらい取られてしまうので、ちょっと厳しいなというのがあって、とりあえずお断りしました。でも、機会があれば、またやってみたいと思っています。今回はミュージシャンという素に近い役だったから、全然違う個性を演じてみたいという気持ちも芽生えたし。それに、演劇独特の雰囲気というのがあって、それが嫌ではなかったんです。リラックスした良い空気で稽古とかをしていたけど、役者さんのストイックさみたいなものは勉強になった。彼らは自分に厳しい人達で、なんとなくヌルッとOKしてしまうということがないんですよ。そういうところにすごく刺激を感じたし、本当に良い数ヶ月間でした。

――また演技に挑戦する時は、ぜひ教えてくださいね。アパレル・ブランドの立ち上げと舞台を経て、9月16日にソロ・アーティストとしての1stミニ・アルバム『overture』がリリースされます。

塩原:ソロ・アーティストとして活動するということは、今年の春頃までは全く頭になかった。でも、舞台の人達に、君は引っ込んじゃダメだと言われたんです。なにかしら前に出なさいと。それで、ちょっと考えて、ミュージシャンとしての活動も再開しようという気持ちになりました。ただ、バンドという選択肢は出てこなかったんですよね。バンドに関しては、去年の末で自分の中で一区切りしてしまった感覚があって。その後も、お誘いを頂いたりしたんですけど、どこかのバンドに加入したり、1からバンドを組んだりするのは、ちょっと今の自分がしたいことではないなというのがあって。振り返ってみると、僕はずっとルイとして活動して、作曲をして、人前にも出て、リリースもして…という形でやってきたじゃないですか。そうじゃない、塩原康孝としての部分で何もしたことがないんですよね。だったら、自分のありのままの状態で作品を出してみたいと思って。それで、ソロという形態を採ることにしました。

――ベーシストからギター・ボーカルに転向することもすぐに決めましたか?

塩原:いや、かなり悩みました。今でも制作していて、やっぱり自分はベーシストだなと思うことが多いんですよ。ベースには、すごくこだわるから。でも、歌いながらベースを弾くとなると、自分がベースに詰め込んでいるこだわりを出せないような気がして。いろいろ考えた結果、ベースはちゃんと人にやってもらって、自分はギター・ボーカルをやることにしました。なぜギターを持ったかというと、僕が好きなボーカルはギター・ボーカルが多いんですよ。LUNA SEAで目覚めて、それからずっとヴィジュアル系をやってきたけど、日頃聴いてる音楽は結構違うところだったので。LUNA SEAの後、Hi-STANDARDに行ったんです。あとは、DRAGON ASHとかも聴いていたし、大人になってからELLEGARDENの細美さんも好きになったし。そういうところで、自然と自分もギターを持ちたいなと思った。元々ギターは弾けて、デモのギターは自分で弾いていたし、友達と酔っ払って弾き語りみたいなことをしたりしていたから(笑)。

――なるほど(笑)。歌うことに関しては、いかがでしたか?

塩原:歌は、それこそ春に舞台をやっていて良かったというのがありましたね。舞台をやるまで発声の仕方とかは全く知らなかったんですよ。舞台をやって、どういう声の出し方や口の開け方をしたら会場の奥まで声が届くのかということを初めて学んで。それが、ちょっと活かされたんじゃないかなと思います。

――ミュージシャンとして活動することを考えると、ベーシストのほうがいろいろな意味で楽だったと思いますが、敢えて違う道を選んだんですね。

塩原:たしかに、ベーシストでバンドを探す、特にヴィジュアル系のフィールドだったら、楽だったと思う。一緒にやろうと言ってくれる人もいたかもしれないし。でも、不思議とそこに戻るという考えはなかったです。

――それは、SCREWをやり切ったからこそという気がします。

塩原:そうかもしれない。SCREWで最後のツアーを廻った時は、完全に気持ちの整理がついていたから。その後、音楽活動を再開するにあたって、あれだけバンドしかやって来なかったのに、バンドという選択肢は出てこなかった。ソロをやろうと決めた時に、バンドしか知らなかった人間が、バンドから離れたんだなと改めて思いました。

――本当に自分がやりたいことをやるというのは、ファンの皆さんも嬉しいと思います。ソロ第一作の『overture』を作るにあたって、テーマなどはありましたか?

塩原:テーマみたいなものは、全くなかったです。もう何も意識してなかった。昔だったら、それこそツアーが控えているから、ライブで掴みやすいものにしないといけない、そういう構成にしないといけない…みたいなことを考えたりしたけど、今回はそういうことが一切なくて。こういう雰囲気で纏めなきゃいけないということも考えなかった。普段の自分が好きなものとか、こういうことをやってみたいと思ったものをフラットな感覚で作っていって。できあがったのを聴いて、これはいけると思ったものは“採用”のフォルダに入れるという感じでした。

――もしSCREW在籍中に全員でソロを作ろうということになったとしたら、やはりこういう作品になったと思いますか?

塩原:いや、また違ったんじゃないかな。そんなことは想像したことがなかったけど、あの当時の自分がソロ作を作るとなったら、多分必然的にSCREWに寄せていたと思うんですよ。そこにいるメンバーとして見られているという気持ちが出てきてしまって、極端に離れたものは作れなかったと思います。


――『overture』は、塩原さんの本当にナチュラルな姿を見れる作品ということになりますね。『overture』にはいろいろなタイプの楽曲が入っていますが、メロディアスということは共通しています。

塩原:それは、完全に僕の好みです。メロディーがない音楽があまり好きじゃなくて、日本のロックバンドとかJ-POPと言われるジャンルが結構好きなんですよ。音がどうであれメロディーがちゃんと乗っているというのは、僕の中で絶対条件になっています。『overture』の曲を作り始めた時も、最初はサウンドのイメージはなかったんですよね。多分、サウンドから作っていったほうが早いと思うけど。

――カッコ良いリフや楽曲の世界観を重視みたいな?

塩原:そう。でも、そうじゃなくて、『overture』の曲は、どれもメロディーから入っていきました。

――曲の作り方にも個性が出ていますね。曲を揃えていく中で、ターニング・ポイントになった曲などはありましたか?

塩原:表題曲の「-overture-」ができた時に、これは表題でいけるということは感じました。僕は結構ポジティブな性格なので、終始ネガティブな作品というのはあまり好きじゃないんですよ。元気なほうが好きなので、「-overture-」は自分の中でストライクだったんですよね。こういう感覚は、久々だなと思った。それに、あの曲が先にできたので、後はもうちょっと冒険しようかなという気持ちになれたというのはありました。それこそ、やったことがないけど、やりたいものも入れてしまおうと。「みらいドロップ」とかは、まさにそうですね。あの曲とかは、もうバンドではやれないという(笑)。

――ソロ形態の強みを活かしていますね。「みらいドロップ」は、そこはかとなくエレクトロの匂いがするという仕上がりが印象的です。

塩原:リスナーとしてエレクトロは好きだけど、ガチガチにそっちに寄せてしまうのは、今の自分がやりたいことではないから。ただ、エレクトロの要素を活かした曲は欲しいなと思って形にしたのが「みらいドロップ」です。生楽器は一切入ってなくて、ライブでやる時どうしようと思っていますけど(笑)。

――とりあえず、そこは置いといて、やりたいことをやったと(笑)。抒情的な「innocent star」も、アルバムの良いフックになっています。

塩原:これは、得意な分野ですね。ああいうシンセの使い方とか、展開の仕方とかはバンドをやっていたからこそというか。バンド活動を通してプロデューサーの方からいろいろ学んだんです。僕は元々バンド・サウンドにシンセを足すのが大好きで、上手い合わせ方とかをいろいろ教わったことが活かされていますね。逆にシンセが一切入ってない曲があることからも、今回は好きなように作ったことが分かってもらえると思います。

――たしかに。それに、凝ったドラムが多いことも特徴になっていませんか?

塩原:ドラムは全部打ち込みで、完全に自分の好みを反映させました。ドラム・アレンジに凝るのはSCREWの頃からそうで、相方をすごく困らせていたんですよ。生で叩くと、すごく難しいから。でも、彼は“これムリだよ!”とか言いながら、スタジオに入ると叩けてしまうという(笑)。そういう恵まれた環境にいたから、いつもドラムは練り込んでいて、それは今回も変わらなかったですね。

――ドラムも聴きどころになっています。歌録りは、どうでした?

塩原:一言で言うと、分からなかったです(笑)。歌録りに限った話じゃなくて、表題曲はちゃんとしたエンジニアにミックスを頼んだけど、それ以外の曲は打ち込みから弦楽器の録音、歌録り、ミックスまで全部自分でやったんです。ギターやベースは自宅で録れるけど、歌は録れないというのがあって。パソコンとマイク用のプリアンプだけ持って、1人で普通の町スタに行って歌録りをしたんです。マイクをセッティングして、パソコンで録って、プレイバックして気持ち悪いところがあったら録り直すということを、繰り返していました。歌のディレクションをしてくれる人がいなかっから。

――そうなんですか? 本当に、もう全ての作業を1人でやったんですね?

塩原:そう。

――バンド時代のパイプとかを使って、環境の良いスタジオで、ディレクター的な人に付いてもらって…という形も採れたと思いますが。

塩原:一度、そういうところから離れてみたかったんです。幸せなことに、身近なところにいろいろ頼める人はいるんですよ。ドラムを叩いて欲しいもそうだし、歌のジャッジをして欲しいもそうだし、ミックスをお願いしたいもそうだし。でも、そこに頼らずに、一度自分で全部やってみたかった。そうすることで、また分かることがいっぱいあるなと思ったから。それで、歌録りも、ミックスも自分でやることにしたんです。ミックスなんて、もう本当に何も分からない状態だったから。スネアはどういう風に音を作っているのか、どうやったらこういう聴こえ方になるのかといったことを、いろんな人に聞いて。あとは、ネットで調べたりして。そうやって、見よう見まねで一度ミックスして、そこから自分が良いなと思う方向で纏めていきました。

――音楽の面でも、また新たな知識を身につけましたね。それにしても、今年に入ってからの活動は、“自ら動く”という言葉に集約されますね。

塩原:そうですね。アパレルにしても、役者にしても、ソロ活動にしても初めてやることばかりだけど、人に頼らずに自分でできることは全部自分でやってみた。みんな、僕は誰かにバックアップされていると思っているみたいだけど、本当にそういうものはなくて。今の自分がやっていることは、インディーズの人達と変わらないんですよ。だから大変な面もあるけど、その分勉強になることがいっぱいあって充実感がある。それは、自ら動かないと得られないものなんですよね。

――情熱の大切さを、改めて感じます。ソロ活動を通して伝えたい、大きなメッセージなどはありますか?

塩原:音楽というのは、落ち込んでいる人を元気にさせたり、迷っている人の背中を押したりする、すごいパワーを持っているじゃないですか。そういう部分を伝えたいというのはありますね。そういう想いがあるし、自分があまり好きじゃないこともあって『overture』の歌詞はネガティブな表現を、なるべく排除しました。ローな感じでも、どこか一ヶ所にポジティブに感じさせるものを入れておきたいなというのはありましたね。

――それが爽やかさに繋がっています。さて、本当に自分が作りたい音楽を自分の手で良い形に仕上げたことも含めて、これからの活動が楽しみです。

塩原:今後はソロという形態のメリットを活かして、どんどん自分らしさを出していこうと思っています。もちろんライブ展開もしていくけど、音楽性と同じように、ライブもガチガチに決め込み過ぎないようにしたいというのがあって。リラックスして、やれたら良いかなと。ただ、さすがに今回は緊張しそうな予感がするんですよ(笑)。それがね…ちょっと心配(笑)。

――たまには緊張するのも良いものですよ(笑)。それに、緊張するというのは新しいことに挑戦した証明ですし。

塩原:そうですね。新しい姿を見せるし、それを自分でも楽しもうと思っています。

――期待しています。今後はソロ・アーティスト、アパレル・ブランド経営、役者、作曲家など、マルチに活動していくことになりますか?

塩原:そうしたいですね。ソロ活動とアパレル・ブランドが自分の中の大きな二本の柱としてあるけど、いろんなことを経験したいので。頂いた話は、時間があればもう全部受けてみるというスタンスでやっていこうと思っています。

取材・文:塩原康孝
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