【対談】沖ちづる×北澤ゆうほ(the peggies)、「十代の最後に残しておきたい」

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間もなく二十歳の誕生日を迎える女性シンガーソングライターの沖ちづるとガールズバンドthe peggiesのギター&ボーカル北澤ゆうほの2人が、11月中旬、沖ちづるのネットラジオ『むこうみずようび』にて対談を行なった。同番組は月に一度のペースで行なっているもの。ゲストを招いての放送は今回が初となる。

◆沖ちづる×北澤ゆうほ 画像

北澤ゆうほと沖ちづるとの出会いは高校1年生の頃までさかのぼる。対談では、弾き語りでも数度対バンしたことがある2人が、歩んできた中高校のバンド生活や音楽の道を志すきっかけ、11月11日にリリースしたばかりのthe peggiesの1stアルバム『NEW KINGDOM』について、そして二十歳への思いなどを語っている。BARKSではその約60分間をノーカットでお届けしたい。なお、写真は2人にゆかりのある渋谷のライブハウスに向かう道すがらで撮影したものだ。

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■世代のヒーローと天女の出会いとは!?■

沖:ゆうほちゃんとは高校時代にライブハウスで出会ってから、ちょくちょく会う機会はあったけど、お互いのことを深く話すことはあまりなかったよね。

北澤:ぜんぜんなかった。高校1年からの友達だから、出会って5年経ってるけど。

沖:私は壁の向こうからこっそりゆうほちゃんを覗いてる、みたいな感じだったし。

北澤:ははは(笑)。

沖:出会った場所は覚えてる?

北澤:大岡山のPEAK-I?(東京都大田区のライブハウス)。

沖:そうだよね。大岡山にある高校生ばっかり出てるライブハウス。でも、“はじめまして”みたいなやり取りはしてなくて。

北澤:私がすごくひねくれていて、当時は友達を作ろうとしてなかったからね。

沖:私もそういうやり取りは苦手なタイプだったから……。でも、さっき“壁から覗いてた”って言ったように、ゆうほちゃんは私からすると遠い存在の人だった。その頃はthe peggiesの前にやってたバンド(※Riceball)だったけど、オリジナルの曲をやってたし、私たちの世代のなかですごいと思ってた。

北澤:沖ちゃんも、神聖な領域にいる人だったよ。我が強いというか、ちゃんと自分を持ってるタイプの人なんだろうなって思ってた。

沖:推理されていたわけか(笑)。

北澤:天女みたいなイメージがあった。当時は、接してもぜったい噛み合わない気がすると思ってあまり話しかけられなかったけど、YouTubeでは沖ちゃんがいたバンドの曲をめっちゃ聴いてたよ。

沖:私もそう。Riceballが、渋谷であったバンドの大会(※<REVOLUTION ROCK VOL.2>2012年1月27日@マウントレーニアホール渋谷)で優勝したとき、バンドのメンバーを連れて私も観に行ってて。帰り道で、「私たちも頑張らないと」って言いながら渋谷の喧噪のなかを歩いて、渋谷駅でメンバーと別れた思い出がある。その頃から、私のイメージでは、ゆうほちゃんは同世代のヒーローだったんだよね。

北澤:本当に? 嬉しいなあ。


■軽音楽部から始まったバンドストーリー■

沖:ゆうほちゃんが、“私は音楽の道に進もう”って決めたきっかけは?

北澤:中学生の時に軽音楽部に入ったのがきっかけだった。私は勉強もしなかったし、運動神経も悪いし、趣味もなかったから、何もできることがなくて。だから、音楽は初めて没頭できるものだった。高校1年の時に、ひょんなことでさいたまスーパーアリーナでのイベントに出る機会があったんだけど(<EMI ROCKS>2012年2月19日/『REVOLUTION ROCK VOL.2』グランプリ受賞バンドとしてオープニングアクト出演)、何万っていう人がいる前で演奏して、“こんなにすばらしいことはない”って思えて。自分が作った歌をこんなに大勢の人が聴いてくれる。この景色を絶対にまた見てやろう。思い出にはしたくないなって。その瞬間に“私は音楽を続けていく”って決めた。

沖:いい話だね。私も中学生の時に軽音楽部に入って、コピーバンドから始めて。歌うことは小学校の頃から好きだったんだけど、友達に「下手なのに何で歌うの?」って言われて……。

北澤:あ、ひどい。

沖:でも、コピーバンドのメンバーに「何か歌ってよ」って言われたから、歌い始めたんだよね。


■先輩への反骨精神■

沖:ゆうほちゃんは私立の中高一貫女子校に通ってたんだよね。

北澤:そうそう。女子校にいた。

沖:私も同じ。女子校で中高一貫校に通ってて。だから5年間軽音楽部だった。the peggiesのメンバーは軽音楽部の同級生?

北澤:うん。中学1年の時に軽音楽部の入部希望者に3人ともいて。でも、入部した時は、2人は私と違うバンドだったからどういう娘かぜんぜん知らなくて。

沖:へー。一緒にバンドを組むことになったきっかけは?

北澤:入部してパートを決める時に、本当はボーカルをやりたかったんだけど、ナルシストだと思われるのが恥ずかしくて“ボーカルをやりたい”って言えなかった。だから、最初はギターを弾いてたのね。でも、やっぱり“歌いたい”って思いが強くなって。高校2年の時に、ほかのバンドからベースとドラムを引っ張って、私がボーカルのバンドを組んだんだけど、私の学年にはバンドが2つしかなかったから、結果的にまぁちゃん(石渡マキコ(B))とみく(大貫みく(Dr))しかいなかった、と。

沖:すごい出会いだね。その頃の私はコピーバンドだったけど、初めてコピーした曲は髭の「ロックンロールと五人の囚人」っていう……。

北澤:やば。初めてコピーする曲がそれって。

沖:完全に私の趣味だったんだけど。ゆうほちゃんがその頃に影響を受けたバンドとかってある?

北澤:まぁちゃんにTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTを教えてもらって、バンドの根本的な編成だけでこんなにかっこいい音楽ができるんだって感動した。でも、“うちは3人だからコピーはできないね”っていう話になって。で、3人編成ってことでBLANKEY JET CITYを頑張ってコピーしてた。

沖:かっこいいね。

北澤:うまくできてなかっただろうけど、“自分、めっちゃかっこいい”って思ってた(笑)。

沖:わかる。私が髭のコピーをしたのも、どこかで先輩たちに“渋い”と見られたい気持ちがあったから。

北澤:私たちも謎の反骨精神があって、先輩が出てるPEAK-Iは避けて、学芸大学駅の近くにあるメイプルハウス(※東京都目黒区のライブハウス)に出てた。

沖:私も同じで、“先輩の出てるところには出ない”って対抗心を燃やして、新宿JAMとかに出させてもらうようになったなあ。3つ、4つ歳が離れている先輩のことは尊敬してたんだけど、1つ上の先輩や、1つ下の後輩とはお互いにメラメラしちゃって、“負けられない”みたいなライバル心を燃やしてた。

北澤:自分が出てるライブハウスに先輩が出ることになると“え、来るの?”っていう気持ちになってたよね。

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