名古屋インディーズ・シーンで大きな注目を集め、海外フェスへの参加なども果たした後、2014年春からソロ・アーティストして活動を開始したASH DA HERO。彼のメジャー第一作となるミニ・アルバム『THIS IS A HERO』は、圧倒的な“歌力”を誇るボーカルとアッパーかつ個性的な楽曲、能動的な歌詞などが相まって、爽快感に溢れた一作に仕上がっている。“破天荒”や“型破り”といった言葉が似合うASH DA HEROという存在に触れると、新たなカリスマが登場したことを強く感じずにいられない。

◆ASH DA HERO~画像~

■僕はパンクというのは音楽の形態ではなくてアティチュードだと思っていたから
■誰かと同じことをやるのはパンクじゃないしロックじゃないと思うようになった


――まずは、音楽やロックに目覚めた時期やきっかけを話して頂けますか。

ASH DA HERO:バンドをやり始めたのは、高1年の時です。ただ、元々音楽が好きだったわけじゃなくて。よそのクラスのヤツらがいきなり押しかけてきて、バンドのボーカルをやってくれないかと言われたんです。僕が通っていた高校は金持ちの子が多くて、お坊ちゃん学校っぽいところがあったんですよ。大学付属の学校で、僕は医者になりたかったからその学校に入ったんですけど、親の七光みたいなヤツがいっぱいいて。社長の息子とか、宝飾店の息子とかがいて、金持ってるヤツが強いみたいな構図の学校だった。そういう環境だからムシャクシャすることが多かったし、金持ちのボンボンのくせに僕に突っかかってくるヤツが多くて。それで、1人ブッ飛ばしちゃったんですよ。といっても、僕が暴れん坊だったわけじゃなくて、そいつが弱過ぎただけなんですけど(笑)。そいつは全然弱いのに、すごくイキがって自分がどれだけヤバいかを吹聴するわけです。俺の親父は会社の社長で、ヤクザの知り合いもいるんだよ…みたいな。で、不良グループの頭だった。そいつが僕に絡んできて、腹が立ったからブッ飛ばしたんです。“弱っ!”と思ったけど、影響力があるヤツだから、そいつがいろんなところで吹くわけですよ。僕は、あいつにブッ飛ばされたと。それで、1年A組にヤバいヤツがいると噂になって。それを聞きつけた他のクラスのヤツらが来て、“またケンカですか?”と思ったら、バンドやらないかと言われたんです。

――ドラマやマンガみたいな話ですね。

ASH DA HERO:本当に(笑)。でも、当時は音楽やバンドをやりたいという気持ちが全然なかったから。当時は、バンドはダサいと思っていたんです。だから、ずっと嫌だと言っていたけど、すごく強く誘ってくるからしょうがないなと思って歌うことにしたんですよ。そうしたら、すでにライブが決まっていて。何回かリハをしてライブ当日になったら、そのライブは暴走族とかヤンキーの集会みたいなイベントだったんです。場所もライブハウスとかじゃなくて、アメリカン・ダイナーみたいなところだったし。でも、ライブハウスなんて行ったことがないから、ライブハウスっていうのは、こういう場所なんだと思って(笑)。開場したらヤンキーの集会みたいになってて、僕をバンドに誘ったヤツが「この人、○○先輩」とかいって僕に紹介するんだけど、僕は地域が全然関係ないから。それで、関係ねぇなと思っていたら、ボーカルのヤツ生意気そうじゃんとかいってザワザワしてて。僕も15歳とかだから、そんなこと言われて気にくわなくて、「俺は、おめぇの後輩じゃねぇし」とか返してバチバチした感じになって。


――キテますねぇ(笑)。

ASH DA HERO:ライブをしに来たとは思えない雰囲気だった(笑)。ライブが始まったら始まったで、見てるヤツらが「てめぇ、なんだよ?」みたいなノリなんですよ。それで、ジーマのビンとか投げられて、それが僕の頭にあたって。頭にきたから投げ返したら、イベントを主催してる暴走族の先輩よりも、さらに上の先輩のチンピラみたいなヤツの顔面にあたっちゃって。大騒動みたいになったけど、その人が「お前、気合入ってるね! 良いね!」みたいになっちゃって。それで、自分はインディーズのレーベルをやっているから、うちでやらねぇかと言われたんです。音楽のことは本当になに分からなかったから、レーベルと言われても怪しいクスリにしか思えなかったんですよ(笑)。でも、うちのメンバーとかは「マジすか!? よろしくお願いします!」みたいになってて。そうやって、よく分からないままバンドマン・ライフが始まりました。

――最初のライブでは、どんな曲を演奏したのでしょう?

ASH DA HERO:NICOTINEとJELLY→のコピーとオフスプリングのコピーと、オリジナルを1曲やりました。そのバンドはパンクロックをやろうみたいな感じだったんです。それで、自分もどんどんパンクが好きになっていったけど、やっていくうちにすごく自分がステレオタイプに感じてきて。パンクロックが好きだから、パンクロックをやらなければいけないという考え方は全然パンクじゃないと思うようになったんです。メンバーが次は誰々みたいな曲やろうぜと言って曲を作るのも違う気がしたし。それで、自分がやっていることに疑問を感じるようになったんです。僕はパンクというのは音楽の形態ではなくて、アティチュードだと思っていたから。誰かと同じことをやるのはパンクじゃないし、ロックじゃないと思うようになったんですよね。それに、ダサい曲しか作ってこないし。いや、ベースのヤツが作ってくるのはダサいなりに、感じるものがあった。カーペンターズみたいなグッド・メロディーなのに、演奏は謎にミクスチャーっぽかったりして面白かったんですよ。でも、ギターのヤツは、もう何にもならないぞ…みたいな曲ばかり持ってきて。でも、そいつがリーダーで、「お前は音楽の知識がないから、この曲の良さが分からないんだよ」と言ってて。最初はそういうもんかなと思っていたけど、だんだんこいつ気にくわねぇなと思うようになって。それで、ギターのヤツとぶつかるようになって、高3になる直前くらいに、そのバンドはやめました。

――でも、音楽は続けることにしたんですね。

ASH DA HERO:バンドをやること自体は楽しかったから。僕がそのバンドを抜けることになった時に先輩のバンドとか、いろんな人に、うちで歌ってくれないかと誘われて。音楽なんてマジメにやる気はなかったから、全部やるよと言ってしまって。一時期、4つくらい掛け持ちしていました。当時は、日本にスクリーモとかが入ってきたり、ポスト・ハードコアみたいなものが流行ったりしていて。それで、ハードコア・バンドやエモっぽいバンドで歌ったり、シャウトしたりしていたけど、ダサいよねと思っていたんです。それは、当人達にも言っていました。スクリーモが流行った時に、みんな同じ格好をしだしたんですよ。パーカー着て、『明日のジョー』みたいな髪の毛の分け方して…みたいな感じで。でも、ノリは男気ノリというか、ラッパーみたいな仕草で「おう、よろしくな」とか言うんですよ(笑)。もう、そういうのがダサ過ぎて、笑いが止まらなくて。その頃から、なんでみんな形から入るんだろうと思うようになった。別に良くねえか、ユニクロ上下でロックやってても…と、僕は思うんですよ。そういう感じだから、どのバンドもシックリこなくて抜けてということを繰り返していて、その後地元の同い年のバンドの中では上手いと言われているバンドに入ったんです。そこでポップスを歌い始めて、そのバンドは結構長くやっていましたね。

――ソロでやっていこうと決めた経緯は?

ASH DA HERO:そのバンドが解散した後、先輩ミュージシャンがやっているバンドに参加することになって、海外でもライブをしたりするようになって。そのバンドをやっている途中に、僕はバンドに向いてないことを痛感したんです。どんなバンドをやってもシックリこないから。バンドに入った当初はウェルカムな感じだけど、だんだん疎まれるようになるんですよね。僕は思ったことは言うし、要らない人は要らないというか、ダサい人と一緒にいたくないんですよ。それで、切るみたいな。そういうことをしていると、お前は何様だということになるじゃないですか。でも、“お前は何様なんだよ?”という次元の低さも嫌いなんですよ。「何様だよ?」と言われると、「俺様だよ!」といつも言い返してた。そういう人間だから、1人でやっていこうと決めたんです。

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