この秋、綾野剛の熱演で話題のドラマ『コウノドリ』のピアノテーマ、ピアノ監修、そして出演も果たして一躍注目を浴びるこの男。清塚信也は、10代から数々のコンクールで優勝を勝ち取ってきたクラシック・ピアノの俊英であり、ドラマや映画に多くの楽曲を提供してきた才能溢れる作曲家であり、独自の個性を表現する俳優でもある。その『コウノドリ』のピアノテーマを含む最新作『あなたのためのサウンドトラック』は、“聴き手の人生に寄り添う音楽”をコンセプトに、クラシック以外のリスナーにも広く門戸を開いた意欲作。過去のドラマ提供曲やカバー曲などを、ヤマハの最高級グランドピアノCFXで奏でた極上の音響で、リリース以降チャートの上位にとどまり続けているこの作品について、そしてクラシックの魅力、音楽の未来について。トークが面白いと評判のコンサートのように、ユーモアをまじえた饒舌なインタビューをご賞味あれ。

◆清塚信也 『Baby, God Bless You』演奏動画

取材・文=宮本英夫

  ◆  ◆  ◆

■人の時間を飾る音楽なら、
■歌よりもピアノのほうが強い



── 清塚さんのピアノ・リサイタルって、独特ですよね。弾いて、しゃべって、弾いて、解説して、笑いもたくさんあって。あのスタイルはもう、長くやってるんですか。

清塚信也(以下、清塚):やってますね。初めてそれをやったのは、中学生とかですもん。

── え。そんな前から?

清塚:いちおう中学生の頃からコンサートをやっていて、小さいところも大きなところもやってましたけど、小さいサロンでやってる時に、相手は全然クラシックのことを知らない方たちなので。僕が知ってるクラシックの魅力をどう伝えようかな?と思った時に……とりあえずクラシックというのは、音以外で勝負するのは邪道なんですよ。

── そうなんですか。

清塚:たとえばビジュアル的なことですら邪道。出てきただけで「キャー!」と言われるとか、そういう服を着てるだけでも、音楽以外のところで勝負したなと言われちゃう。言葉を使うのも、もちろんダメ。それはコンクールからの流れなんですね。でもクラシックが抱えている歴史や重み、ちゃんと勉強しないと伝わらない深みというものを僕は知ってたので、どうにかそれを伝えたいなと思ったんですよね。でもやっぱり、音だけでそれを伝えるのは難しいかな?と。

── ですね。

清塚:たとえばワインのソムリエの方とお話をすると、彼らも、飲んでもらってすべてが伝わるのが一番うれしいと言うんです。でもやっぱりそれだけじゃ伝わらない。「これは豊作の年のものです」「この人の畑は何年ものが良い」「その年には歴史的に何が起きたか」とか、そういうことを聞くと、“おいしい”以外の味がするじゃないですか。そういう説明をしてから飲んでもらうと、味が変わると思うし、それはクラシックも同じだと思うんですよ。

── はい。なるほど。

清塚:でもクラシックの場合は難しくて、それをやると、音以外のもので説明したということを、やんや言われる場合もあるんです。そう言いたい気持ちも、わかるんですけどね。それでも僕は、言葉で魅力を伝えたいというほうを選んだんです。しゃべらないコンサートが悪いとはまったく思わないし、クラシックにはそのスタイルが合ってると思います。でも邪道だけど、僕は言葉で伝えるほうを選ぼうと思ったのが、中学生の時でした。

── 早熟ですね。

清塚:そうですかね。それしかやってこなかったんで(笑)。学校も全然行かせてもらえなかったし、僕の人生それしかなかったんです。そもそもクラシックって、やっぱり敷居が高いんですよ。もともとヨーロッパの貴族のもので、それなりに知性と教養を持ち合わせた家系に生まれて、いいものしか見てないし、いいものしか食べてない。大衆とは別の人種として生きていた人たちが、こよなく愛して育ててきた文化なので、敷居が高いんです。一般の人に「どうぞ」と言っても、よくわからないというものも多い。でも日本の芸能は、歌舞伎でもなんでも大衆的なものが多いから、日本人はそっちを求めてるんですよ。そういう国へ対極のものを持ち込むのに、そのまま持ってくるのはちょっとな、と僕は思うので、笑いを織り交ぜた、親しみの持てるクラシックのMCはこれからもやっていきたいと思うんですけどね。

── 新しいCDの、『あなたのためのサウンドトラック』というタイトル自体が、まさに大衆の側にありますね。



清塚:クラシックというのは、主役が音楽なんですよね。それはベートーヴェンが作ったスタイルなんです。それまでのバッハやモーツァルトは、お祈りの時間やお食事の時間のBGMみたいなものだったんですけど、ベートーヴェンは「食べながら聴くなコラ!」と言った(笑)。「俺の思いを全部入れたんだから正座して聴け!」という感じで、しかも階級の低い音楽家が貴族に対してそれを要求した。それはすごい歴史的変化で、その時初めて音楽を鑑賞するというスタイルが生まれたんです。それを今までずっとつちかってきたんですけど、今は、楽器の音を聴いても人はビックリしないじゃないですか。昔の人は、それだけでビックリしたんですよ。たとえばホルンという楽器は、高いところに登って時間を知らせるために吹いたりしてた。それぐらい珍しいものだった。ましてや一般の人がミサに来てパイプオルガンを聴いたら、ビックリするし感動するし、畏れるんですよ。言い方は悪いですけど、それで「神様はいるんだぞ」という演出をしていたところがあるんです、キリスト教は。楽器の音一つでハッとするような時代だったから、主役になれていたんですけど、今はそれじゃキツイでしょ。シンセまである時代ですから。

── ですね。

清塚:人の声までボーカロイドで作れる時代ですから。楽器の音を「俺が主役だ」と言って引っ張って行けるのは素晴らしいと思うけど、今の時代のスタイルには合ってない。だから僕は、アコースティックのピアノを弾いている以上、楽器が主役じゃなくて人を主役に立てる、自分は脇役になる、それがサウンドトラックだと思ったんですよ。

── はい。なるほど。

清塚:僕が主役になる音楽もやっていきたいですけど、もう一つのラインとして、人の時間を飾る音楽をやりたいし、それに関しては、歌よりもピアノのほうが強いと思うんです。歌には歌詞があって、歌ってる人の顔が見え隠れするので、そこが見えちゃうと、サウンドトラックにはなりえない。ピアノは歌詞がないから意味を断定しないし、誰が聴いてもその人なりの正解がある。こういう音楽には適してるなと思います。だからこういうアルバムを作ろうと思ったんですね。

◆インタビュー(2)へ