2016年1月23日、68歳で亡くなったジミー・ベイン。ラスト・イン・ラインのアルバム『ヘヴィ・クラウン』は、彼にとっての遺作となった。

ラスト・イン・ラインは1980年代前半、初期ディオのメンバーだったジミーとヴィヴィアン・キャンベル(G)、ヴィニー・アピス(Dr)が再合体を果たしたバンドだが、ジミーはそれに加えて1970年代からレインボー、ワイルド・ホーシズ、ゲイリー・ムーアなどと交流を育んできた。

2015年12月17日、日本のメディアに対するラスト・インタビューは、ジミーの40年以上におよぶ旅路の総括となった。



──リッチー・ブラックモアがレインボー名義で2016年にライブを行うと発表しましたが、元メンバーとしてどう思いますか?

ジミー・ベイン:俺に声をかけてくれればよかったのにな!スケジュールさえ合えば、喜んでやったよ。リッチーは若手を集めてやるつもりらしいけど、ファンにとっては、何人か昔のメンバーがいた方が嬉しいと思うんだ。ロニー・ジェイムズ・ディオやコージー・パウエルは亡くなってしまったけど、俺やトニー・ケアリーを呼ぶべきだったよ。まあ彼の周囲にいる人たちの意向もあるんだろうけどね。リッチーのことはミュージシャンとしても人間としても敬意を持っているし、グレイトな奴だよ。

──レインボー時代のあなたがリッチーのいじめに遭っていたという噂は、どの程度本当だったのでしょうか?

ジミー・ベイン:あれはいじめではなかったよ(苦笑)。リッチーは“変わった”人間だったんだ。彼には独特なユーモアのセンスがあって、人を怒らせることもあった。ホテルの部屋の家具を全部バスルームに隠したりするのが楽しくて仕方なかったんだ。俺はずっと彼の悪フザケをスルーしてきたけど、ステージ上で1曲ごとに「チューニングが狂っているぞ」と言い出してね。どう聴いても正しいチューニングなのに、2曲目、3曲目…と同じことを言ってきた。さすがに4曲目で俺もキレて「ベースでぶん殴るぞ!」と怒鳴りつけた。彼は何も言わずそのまま演奏を続けたけど、それが俺のレインボーでの最後のショーになったよ。あのときリッチーをやり過ごしていたら、クビにならなかったかも知れない。良いバンドだったし、もっとレコードを作りたかったね。リッチーは最高のギタリストだ。いつかまた一緒にやってみたい。

──リッチーとの音楽的な関係はどんなものでしたか?

ジミー・ベイン:きわめて良好だった。俺はピック弾きだったし、彼が求めるあらゆるパターンを弾けたから、気に入ってくれたんじゃないかな。彼はプラクティカル・ジョーク好きだったけど、けっこう人間的にもうまく行っていたよ。

──あなたが寝ているホテルのベッドに火をつけられても、“人間的にうまく行っていた”のでしょうか…?

ジミー・ベイン:ああ、そんなこともあったな(笑)。ベッドが燃えているんで驚いたよ。しかも自分が寝ているベッドがね!あの後、ホテル側からそうとう弁償金を取られたみたいだ。怒るよりも、リッチーの渋い顔が面白かったよ。リッチーは俺をハード・ロック/ヘヴィ・メタルの世界に引っ張り込んだ恩人でもある。実は自伝を書いたんだ。タイトルは『I Fell Into Metal』という。リッチーのおかげでメタルの世界に転がり込んできたのが俺なんだ。

──レインボーの後、ワイルド・ホーシズを結成して発表した『ザ・ファースト・アルバム』(1980)と『スタンド・ユア・グラウンド』(1981)は高く評価されましたが、バンドが長続きしなかったのは何故でしょうか?

ジミー・ベイン:ワイルド・ホーシズはけっこうな人気があったんだ。特に日本にたくさんのファンがいた。俺とロボ(ブライアン・ロバートソン/ギター)も当初は野望に燃えていたけど、2枚アルバムを出した後に熱意を失ってきた。当時ロボと俺は同居していたし、毎日あまりに顔を合わせていたから、嫌気が差したのかも知れない。『スタンド・ユア・グラウンド』を出した後、彼はアルコールの問題を抱えていたし、俺がディオに加入することになって、自然消滅に近い形で解散したんだ。2枚のアルバムがCD再発されたことで再評価されて、数年前にイギリスのフェスティバルで再結成ライヴをやらないかって話が俺にあった。それでクライヴ・エドワーズ(Dr)にメールしたけど、そのまま返事がなくて、立ち消えになってしまったんだ。またオファーがあれば真剣に考えるよ。


──1978年から1979年にかけて、シン・リジィ・ファミリーは『ブラック・ローズ』やゲイリー・ムーアの『バック・オン・ザ・ストリーツ』、フィル・ライノットの『ソーホー街にて』、ワイルド・ホーシズの『ザ・ファースト・アルバム』などをほぼ同時進行で制作して、お互いのアルバムに参加し合っていました。当時のことを教えて下さい。

ジミー・ベイン:すごく良い時期だったよ。忙しいけど楽しかった。昼はひとつのバンドでスタジオに入って、夜になると別のバンドとレコーディングして…あの短い期間で素晴らしいアルバムが何枚も作られたのは、本当に驚くべきことだ。キツいと思ったことは一度もなかった。みんながお互いの才能に触発されて、刺激し合っていたんだ。俺たちはまさにファミリーだったんだ。

──彼らとはプライベートでも親しかったのですか?

ジミー・ベイン:フィルとは友達で、よく飲みに行った。『ソーホー街にて』に参加して、彼のソロ・ライブでもキーボードを弾いたよ。ゲイリーとはフィルを通じて知り合って、特に親しいわけではなかったな。でも、あんな凄いギタリストは見たことがないと思っていた。彼のファンだったよ。彼はフィルと喧嘩をしたけど、俺とは別に問題はなかったんで、ソロ・アルバムでベーシストが必要だというから『ダーティー・フィンガーズ』でプレイしたんだ。

──『ダーティー・フィンガーズ』のレコーディングはどのような作業でしたか?

ジミー・ベイン:最初は1曲という話だったけど、ゲイリーが俺のプレイを気に入ってくれて、アルバム全曲で弾くことになった。「ニュークリア・アタック」や「ヒロシマ」は最高の、グレイトな曲だった。しかも俺が世界で一番好きなドラマーの一人、トミー・アルドリッジと一緒にやれたんだ。チャーリー・ヒューンのヴォーカルも好きだったよ。チャーリーとはそれから一緒にやることはなかったけど、現在に至るまで、何度もフェスティバルのバックステージとかで顔を合わせたりしてきた。彼はいいシンガーで、才能の持ち主だよ。プロデューサーのクリス・サンガリーディスも有能な人間だった。彼らと交流するのは本当に楽しかったね。

──ちょうど30年前の1985年12月、フィル・ライノットと最後のクリスマスを過ごしたときのことを教えて下さい。

ジミー・ベイン:クリスマス前、フィルはカルフォルニアにいて、帰りの飛行機が一緒になったんだ。彼はロンドンのキュー・ガーデンズに住んでいて、俺はその近所のトゥイッケナム在住だったけど、離婚することが決まっていたんで、彼の家に泊めてもらうことにした。俺の見た限り、体調がひどく悪い感じではなかった。彼と最後に会ったのはクリスマス・イブの昼間で、一緒に家族へのプレゼントを買いに行ったんだ。クリスマスの午前中にフィルの娘2人と俺の娘を会わせる予定になっていたけど、フィルが病院に運ばれたせいで、実現しなかった。ショックだった。俺は26日にカナダのヴァンクーヴァーに飛んで、ディオのツアーに合流しなければならなかったけど、心ここにあらずだった。それでフィルは亡くなってしまった。ツアーがあったせいで、フィルの葬式には出られなかったんだ。それでフィルのお母さんに「恩知らず」と言われたのは悲しかった。

──フィロミナ・ライノットさんの本『My Boy』でもかなり辛辣なことが書かれていましたね。

ジミー・ベイン:…彼女は息子を失って、それを誰かのせいにしなければならなかったんだと思う。あれ以来、彼女とは会っていないんだ。いつかまた話をして、仲良くなれると信じているよ。

──フィルはどんな人でしたか?

ジミー・ベイン:彼は開かれた本のような人間だったよ。隠し事や表裏のない、正直な人だった。最後にクリスマス・ショッピングをした後、パブに寄っていろんな話をした。このビジネスで長年やっていけて幸せだと言っていたよ。すごく前向きだったのを覚えている。もし精神的に落ち込んでいたり、悩みがあったら、顔に出てしまうんだ。でも、そういうことはなかった。彼は新しい活動に希望を持っていたよ。

──スコーピオンズの『禁断の刺青』でプレイしているというのは本当ですか?

ジミー・ベイン:ああ、何曲かでベースを弾いた。「ハリケーン」で聴けるのは俺のプレイだ。自分で弾いたんだから、すぐわかるよ。スウェーデンでレコーディングしたのを覚えている。すごくギャラが良かったんだ。アルバムにクレジットされなくても不満がないぐらいのギャラだった(笑)。その場の雰囲気としては、俺にバンドに入って欲しかったみたいだった。でも、そのときディオの『情念の炎~ホーリィ・ダイヴァー』がアメリカ市場でブレイクしつつあったし、オファーがあっても断っていただろうな。その後、ドイツでベースを再レコーディングして、フランシス・ブッフホルツが弾き直したけど、俺のプレイも何箇所かで残っているんだ。別に口止めされたわけじゃないが、紳士として話さなかったんだよ。ディオのギャラがあれぐらい良かったら誰も脱退しなかったんだけどね(苦笑)。

──ヴィヴィアン・キャンベルもディオ時代のギャラの安さをこぼしていましたね。

ジミー・ベイン:うん、正直ギャラは渋かったな。レインボーでは印税の数パーセントを支払われていたし、ディオでも当然そうなると考えていたけど、俺たちはバンドの一員ではなく、雇われミュージシャン扱いだった。正直ガッカリしたよ。ヴィニー(アピス/ドラムス)やヴィヴィアン、そして俺だってディオというバンドには多大な貢献をしたんだからね。そんな不満が募ってヴィヴィアンはロニー、それからウェンディ・ディオと不仲になって解雇されたんだし、結局俺もバンドを抜けることになったんだ。最初の2枚のアルバムは作って楽しかったけど、『セイクレッド・ハート』の頃には惰性になっていたし、自分にとって“お仕事”となりつつあった。今でも『虹を翔る覇者』が再発されると少ないながらギャラが入ってくるけど、ディオの印税はちっとも入ってこないからね。

──それではラスト・イン・ラインでの活動を楽しみにしています。

ジミー・ベイン:俺自身、すごくスリルを感じているよ。フィルと最後に交わした会話を思い出すんだ。こんな長いあいだ音楽を続けられて、本当に幸せだってね。フィルやゲイリー、ロニーやコージーはいなくなってしまったけど、俺はもうしばらく頑張ってみるよ。

取材・文 山崎智之
Photo by Ross Halfin


【メンバー】
ヴィヴィアン・キャンベル(ギター)
ジミー・ベイン(ベース)
ヴィニー・アピス(ドラムス)
アンドリュー・フリーマン(ヴォーカル)

ラスト・イン・ライン『ヘヴィ・クラウン』

【初回限定盤CD+DVD/日本盤限定ボーナストラック追加収録/歌詞対訳付/日本語解説書封入】3,800円+税
【通常盤CD/日本盤限定ボーナストラック追加収録/歌詞対訳付/日本語解説書封入】2,700円+税
1.デヴィル・イン・ミー
2.マーター
3.スターメーカー
4.バーン・ディス・ハウス・ダウン
5.アイ・アム・レヴォリューション
6.ブレイム・イット・オン・ミー
7.イン・フレイムス(ボーナス・トラック)
8.オールレディ・デッド
9.カース・ザ・デイ
10.オレンジ・グロウ
11.ヘヴィ・クラウン
12.ザ・シックネス
13.ヘヴィ・クラウン(アコースティック・リミックス)*日本盤限定ボーナス・トラック
【DVD収録内容】*日本語字幕付き
・ザ・ラスト・イン・ライン・ストーリー
・ザ・ソングス
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・「デヴィル・イン・ミー」ビデオクリップ
・「スターメーカー」ビデオクリップ

◆ラスト・イン・ライン『ヘヴィ・クラウン』オフィシャルページ