【インタビュー】Kαin、BLITZ公演を前にYUKIYAが語る「ここが最後じゃなきゃいいね」

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YUKIYA率いるKαinが2016年5月2日 (月)、赤坂BLITZにてスペシャルライヴ<one another day / die another day>を開催する。公演当日は自身の誕生日であり、赤坂BLITZは活動の分岐点に踏みしめてきた約束の場所でもある。

◆Kαin 画像

“藤田幸也エレクトリック!”名義で2016年3月より、gibkiy gibkiy gibkiyやK?ziと全12ヵ所を廻った3マン<the dark side of the monochrome>は、自身10年ぶりとなる全国ツアーだった。そのファイナル直後に発表となったのが、今回のスペシャルライヴであり、同ライヴはKαin名義で行われるものだ。D≒SIRE、JILSをはじめ、ソロ活動やプロデュースワークなど、20年を超える音楽人生の中、“最高傑作”と称するKαinで彼が観せようとしているものとは何か? 進行形の活動、スタンスの特異性、V系シーンの今、そして自身の未来など、大いに語ってもらったロングインタビューをお届けしたい。

   ◆   ◆   ◆

■バンドが動かない間はソロでやろうという発想
■今、自分がやりたいことはKαinで消化できている

──gibkiy gibkiy gibkiyやKoziとの3マンツアー<the dark side of the monochrome>が終了したばかりですが、全国ツアーなんて久々だったんじゃありません?

YUKIYA:10年ぶりですね。JILSが解散するときのツアー以来。しかも、かなり過酷な行程だったんですよ! 若い頃みたいな体力も無いんで、いかにコンディションをキープするか? 声を嗄らさずに保てるか?で精いっぱいだったから、飲めもせず遊びにも行けず。まぁ、そのぶん純粋にライヴに集中できましたし、発散する場所もライヴしか無いから、どうやって前回よりも良いライヴにするか?っていうのを、ひたすらテーマにしてました。

▲YUKIYA

──素晴らしい! では、まずはツアー<the dark side of the monochrome>に参加することになった経緯から伺えます?

YUKIYA:2015年の夏、highfashionparalyzeと東名阪でライヴしたんですよ。そのときはKαin名義だったんですけど、すごく楽しくて、やるたびに客席の反響も良くなっていく感じがあって。highfashionparalyzeに参加してたSakura(ex.L’Arc~en~Ciel、ZIGZO、Rayflower、THE MADCAP LAUGHS)さんと、「もうちょっとやりたいね」って話になったんです。ただ、僕は大晦日のD≒SIRE1日復活があったから、それが一段落した3月にツアーに出たという流れですね。元々Sakuraさんとは、19とか20歳くらいの頃からの知り合いなんですよ。

──ええ! じゃあ、20年以上の付き合いなんですね。

YUKIYA:そう。彼がL’Arc~en~Cielに加入する前から共通の先輩がいて、かなり密な付き合いがあったんです。そしたら今回、彼がhighfashionparalyzeを母体に新バンドのgibky gibky gibkyを立ち上げて、そのメンバーのうちaie (G)さんとkazu (B)さんはずっと僕のソロで弾いてくれてた人だったから、蓋を開けてみたら3バンドでやるけど演奏するメンバーは同じになったという(笑)。

──なるほど。ちなみに今回は“藤田幸也エレクトリック!”名義での参加でしたが、では、これはYUKIYAさんのソロと考えていいんでしょうか?

YUKIYA:そうです。過去にもソロは何回かやってるんですけど、ほとんどアコースティックだったんですね。ただ、2年くらい前からバンド形態のソロもやり始めて、アコースティックとの区別をつけるために藤田幸也エレクトリック!と最初は仮で付けていたのが、面白いからこのままでいくかと。ちょっとインパクトあるじゃないですか。

──アコースティックではないソロということが端的に伝えられますよね。そもそもYUKIYAさんの中でバンドとソロって、それぞれどんな立ち位置なんでしょう?

YUKIYA:よくある“バンドで表現できないことをソロでやる”ということではないんですよ。今、自分がやりたいことは基本的にKαinで消化できているので、もう純粋にライヴを増やしたいだけですね。Kαinは各メンバーのスケジュールが結構詰まっていて、なかなかライヴをやれない現実があるから、じゃあ、その間にソロをやろうというだけ。ま、若いころはライヴなんて、あんまり好きじゃなかったんですけどね。

▲YUKIYA

──珍しいですね。音源制作よりもライヴが好きと公言するバンドマンのほうが多いのに。

YUKIYA:僕は最初からスタジオおたくというか、完璧主義だから何度でもトライ&エラーできて、自分の好きなものを緻密に構築できるスタジオ作業のほうが好きだったんです。おまけに10代の頃とか僕、歳の離れた先輩ばっかりの中でやってたから、ライヴがプレッシャーになってたんでしょうね。ちゃんと教えられた通り出来るかな?みたいな感じで、たぶん子供が発表会に臨むような気持ちだったんだと思うんです。

──だからオーディエンスとの一体感を感じたり、いわゆる“ライヴを楽しむ”ということができなかったと。

YUKIYA:結局、ライヴを自分だけのものだと考えていたのかもしれないです。だけどJILSの初期くらいだったかな? 風邪をひいてしまって声がまったく出ないときがあって、それでもステージに立ってライヴを強行したら、かつてないくらい盛り上がったんですよ! お客さんが“YUKIYAの代わりに頑張ろう”ってなって、もう場内大シンガロング!みたいな。そこで考え方が変わったんですよね。もちろんプロとして自分のコンディションを維持することは大事だけれど、変に気張る必要もないんだなと。自分がステージの上に存在していることで起こせるもの……いわゆるライヴだけの素晴らしさみたいなものを知れたから、バンドが動かない間はソロでライヴをやろうという発想になったんです。

──それはファンにとっては嬉しい変化ですね。

YUKIYA:かもしれないですね。ヒドいときは年に3回くらいしかライヴやってなかったですから(笑)。それが近年は20本くらいやりますし、今回のツアーではコード進行だけ決めて、メロディも歌詞も長さも全部その場のアドリブで決めていく曲っていうのも、いくつかやってみたんですよ。で、帰ったら毎回ビデオをチェックして、“あ、今日はこういうメロディと歌詞なんだ”って自分で観るのが楽しみでした。

──ライヴならではの即興性を楽しめているとは、緻密に作り込んだものを発表していた時代からすると、すごい変化ですね。

YUKIYA:そうそう(笑)。それこそD≒SIREの頃はアドリブとか絶対しなかっただろうし、でも、客席のお客さんだったりステージ上のプレイヤーとの意思の疎通という部分での面白さって、やっぱりあるんですよね。Sakuraさんとか、前日に指定したのと違うビートを叩いてきて、ライヴ中に“ごめんごめん!”みたいなこともあるんだけど、そうやってどんどんフレーズが変わっていくのが面白かったり。根本が変わることはないだろうけど、表現に幅を持たせるという意味では、すごく自分にとってプラスになったツアーでしたね。

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