【音楽ギョーカイ片隅コラム】Vo.41「MONOを日本から追っかける!(3)~日本と世界の温度差編~」

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先日、富士祭瓦版にて公開されたFUJI ROCK FESTIVALの生みの親であるSMASH日高代表のインタビューの中で、ロンドン五輪の閉会式に出席していた日本人選手の、目の前にある世界一流の芸術を背にして耳にはヘッドフォンを、目は手元の携帯電話へ向けていた姿がテレビに映し出された時のことを例にあげ、日本の音楽シーンや文化の在り方について考え直さなければいけないのではないかという指摘がありました。これは、MONOの日本と海外における認知度の違いを見ても当てはまるように思います。

MONOをご存知ない日本の音楽ファンの方々に、このバンドの存在を知っていただく目的で始まった『MONOを日本から追っかける!』。今回は、MONOをめぐる日本と世界の温度差についてみてみましょう。

数々の海外フェスやヴェニューから呼ばれて出演しているバンドがこの国に存在しているのに、日本の音楽フェスの多くがなぜMONOを呼ばないのか。イギリスで最も影響力のあると言われる音楽メディアが「これは神へ捧げる音楽である」とまで称賛しているのに、日本の音楽関連メディアの多くがろくに取り上げもしないのはなぜなのか。

これらの疑問を感じて早10年。フェスに関してはバンド側が出演を断っている可能性もあるので真意はわかりませんが、後者は明らかにリスナーに届く以前の問題が日本の音楽ギョーカイにはあるように見受けられます。

例として、MONOの日本での活動に着目してみましょう。
2012年のFUJI ROCK FESTIVAL出演時、真夏の炎天下にも関わらず、オーケストラを率いてホワイト・ステージに立つという命知らずな勝負を仕掛けたMONO。そうしたバンド側の、そのステージ出演にかけた意気込みが生半可な物ではないことは一目瞭然でした。


そしてまた、対するオーディエンス側のアンサーは、終演直後に一瞬の無の間があった後、怒濤の歓声と割れんばかりの拍手が沸き起こるという盛り上がりをみせていました。人は感情が大きく揺すぶられると身動きも何もできない状態になりますが、ライブなどの不特定多数の人がいる空間において「一瞬の無の間」が生まれることは奇跡的と言えるでしょう。

そうしたオーディエンス側の反応とその人集りの多さから見ても、MONOの活動領域がようやく日本のフェスという場へ拡大されていく未来を感じさせる、前触れのような空気感がそこには確かにありました。しかし、予想していたほどにはならなかったことを考えると、それをキャッチしたオーディエンス側に日本のメディアやフェス・ギョーカイの方が少なかったのでしょう。

それから、もし日本でのMONOの認知度の異常なまでの低さの主な原因のひとつが日本におけるインスト・ミュージックに対する認識と浸透度の低さにあるとするならば、音楽関連のメディア・ギョーカイの方々の意識変化が重要な鍵かもしれません。

MONOのプロフィールには、別のバンドでプロとしてデビューしたものの、その活動の中で経験した当時の日本の音楽ギョーカイにおけるプロミュージシャン定義に疑問を感じたリーダーである後藤氏が「自分のやりたい音楽だけをやる」ことを選び、新たなメンバーを集めて結成したのがMONOのはじまりとあります。


日本と世界の音楽ギョーカイには同じ音に対する評価の違い、温度差、仕組みの違いが存在するのは当然としても、ビジネスとしてだけ音楽を扱うのではなく、日本での有名無名をも問わず、ただ事実の紹介として世界で活躍する日本人ミュージシャンの活動功績を積極的に報道がなされれば、それがきっかけとなって日本の音楽ファンが世界でも評価されている芸術に触れ、感動できる機会がもっと増えるのではないでしょうか。

そしてMONOや、MONOのような世界では有名なのに日本ではまだ知られていないミュージシャンたちが、まずは当たり前に日本各地の音楽フェスティバルに出演していて、その音楽に直に触れられる環境が数多く生まれることを願っています。

さて今宵、4月24日は<After Hours>と題したフェスをMONO、envy、downyと共同主催開催されます。これは今年で11年目を迎えるフェス<SYNCHRONICITY>とのコラボ・フェスで、会場はTSUTAYA O-EASTを始めとする4会場で行われるとのこと。あいにくのお天気ですが渋谷へお出かけしてみては? と書く心持ちでおりましたが、チケットは完売。当日券もなし。チケットのない方は次の機会を待ちましょう。

Photo:MItsuyo Miyazaki, Yoshiharu Ota

◆早乙女“ドラミ”ゆうこの【音楽ギョーカイ片隅コラム】
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