【インタビュー】アラン・パーソンズ「もうアルバムを作る意義すら感じない」

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ザ・ビートルズやピンク・フロイドの作品を手がけた伝説のエンジニアであり、アラン・パーソンズ・プロジェクトを率いて「アイ・イン・ザ・スカイ」「ドント・アンサー・ミー」などを世界的にヒットさせたアラン・パーソンズが、アーティスト・デビュー40周年を記念するシンフォニック・ライブ映像作品/アルバム『ライヴ・イン・コロンビア』を発表した。

◆アラン・パーソンズ画像

2013年8月、南米コロンビアのメデジンで70人編成のオーケストラと共演したこのライブでは、アランが「本来あるべき姿」と語るシンフォニック・ヴァージョンで往年の名曲の数々をプレイしている。前後編にわたるロング・インタビューの前編でアランは『ライヴ・イン・コロンビア』とコンセプト・アルバムへのこだわりについて語ってくれたが、この後編では彼のプログレッシヴ・ロックとの交流、そしてエンジニア時代のエピソードについて語っている。




──『ライヴ・イン・コロンビア』に収められたコロンビアでのショーはどんなものでしたか?

アラン・パーソンズ:良いショーだったよ。今回リリースするにあたって音声と映像をチェックしたけど、バンドの演奏も良かったし、メデジン・フィルハーモニック・オーケストラとの呼吸もピッタリだった。12台のHDカメラと高音質で収録して、とても楽しい作品になったと思う。でも舞台裏は大変だったんだ。地元のテレビで生放送されたんだけど、我々がまさにステージに上がろうとして、イントロのBGMが流れ始めたとき、突然PAの電源が落ちたんだよ。それから20分間ずっとそのままで、これは延期かも…という流れだった。幸い復旧してライブができたけど、みんなピリピリしていて、お客さんも待たされて微妙な空気だった。でも最終的にみんなハッピーになってくれて、本当に良かった。

──アラン・パーソンズ・プロジェクトの名曲の数々にオーケストラ・アレンジを施すのはどのような作業でしたか?

アラン・パーソンズ:多くの場合、きわめてシンプルな作業だった。当時の曲には、元々オーケストラが入っていたものが数多くあった。だからオリジナルの楽譜を使って、それらの曲が本来あるべき姿に戻したんだ。「アイ・イン・ザ・スカイ」などでは新しいオーケストラ・アレンジをしたけど、「静寂と私」なんかはオリジナルのままだ。この曲はオーケストラ抜きではもう演奏できないね。コロンビア公演の数ヶ月前、ドイツでのライブを収めた『Livespan』というバンド形式のアルバムもあるんだ。そちらの演奏も良いけど、やはり『ライヴ・イン・コロンビア』こそが決定盤だ。

──『ライヴ・イン・コロンビア』は“アラン・パーソンズ・シンフォニック・プロジェクト”名義で発表されますが、もう“アラン・パーソンズ・プロジェクト”名義は使わないのですか?

アラン・パーソンズ:うん、“アラン・パーソンズ・プロジェクト”は私とエリック・ウルフソンの2人のグループだったんだ。1974年、私はアビー・ロード・スタジオでアシスタント・エンジニアをやっていて、エリックはセッション・ピアニストとしてスタジオを訪れていた。彼はとてもユーモアのある人物で、すっかり意気投合したんだ。エリックと生み出した音楽は誇りにできるものだし、アラン・パーソンズ・プロジェクトは彼と私の2人のものだから、1990年に彼とのパートナーシップを終えたときに封印したんだ。でもアラン・パーソンズは私の名前だし、“ライブ・プロジェクト”や“シンフォニック・プロジェクト”は問題ない。生前のエリックもそれはOKしてくれたよ(2009年に死去)。

──ヒット曲の数々が披露されるのに加えて、「運命の切り札」組曲が完全演奏されているのもハイライトのひとつですね。

アラン・パーソンズ:「運命の切り札」はもう2年ぐらいやっているけど、いつも盛り上がるんだ。ライブに来るお客さんはヒット・シングルも聴きたいけど、プログレッシヴな大曲も好きなんだよ。現代のメインストリーム音楽シーンは一変してしまって、もうアルバムを作る意義すら感じないけど、ライブで過去の大曲をプレイするのは楽しいし、これからもやろうと考えている。近い将来、『怪奇と幻想の物語~エドガー・アラン・ポーの世界』(1976)の完全再現ツアーをやるつもりなんだ。

──現時点であなたの最新アルバムは2004年『A Valid Path』だと思いますが、もうアルバムは作らないのですか?

アラン・パーソンズ:うーん、どうだろうね。街を歩けば、スマホが人々の最大の友であることがわかる。みんなスマホでメールやゲームをしたり…彼らの日常において音楽は、さまざまな娯楽のひとつに過ぎないんだよ。誰もが音楽はタダだと考えている。悲しいね。もしかしたら引退する前にあと1枚だけアルバムを作るかも知れないけど、それはコンセプト・アルバムにはならないだろう。『A Valid Path』もコンセプト・アルバムではなく、曲のコレクションだった。私が最後に発表したコンセプト作品は『オン・エアー』(1996)だろう。もう20年コンセプト・アルバムを作っていないんだ。

──アラン・パーソンズ・プロジェクト時代、アルバムのコンセプトはあなたとエリックでどのような比重になっていたのでしょうか?


アラン・パーソンズ:コンセプトの多くはエリックによるものだった。『ガウディ』(1987)も彼がスペインのバルセロナを訪れたりして、アイディアを組み立てていったんだ。私がコンセプトを考えたのは『ピラミッド』(1978)ぐらいかな。あのアルバムは元々さまざまなウィッチクラフト(魔術)をテーマにする筈だったんだ。それで調査をしていくうちにピラミッド・パワーに興味を持って、それに集中することになった。ただ忘れてはならないのは、アラン・パーソンズ・プロジェクトがコンセプト作だけを作っていたわけではないことだ。『アイ・イン・ザ・スカイ』(1982)がコンセプト・アルバムだとは思わない。いろんな“意味”を見出して、コンセプト・アルバムだ!と言ってくれる人はいるけどね。『ステレオトミー』(1986)もコンセプト作ではないよ。

──あなたとエリックが書いたロック・オペラ『Freudiana』(1990)のコンセプトもエリックだったのですか?

アラン・パーソンズ:その通りだ。彼は心理学者のジーグムント・フロイトに興味を持って、ウィーンに滞在までして下調べをしたんだ。彼の奥さんも心理学を勉強して、フロイトについて詳しかった。あのアルバムは当初アラン・パーソンズ・プロジェクトの作品としてスタートしたんだ。でもあるとき、アンドリュー・ロイド・ウェバーと一緒にやっていたブライアン・ブロリーが「ロック・ミュージカルにしないか?」と言ってきた。私はあまり乗り気ではなかったけど、彼らのアイディアには興味があったし、任せてみることにしたんだ。アルバムはあまり売れなかったけど、ウィーンで行ったステージ・ミュージカルは大成功だった。ただ、ミュージカルはウィーンでしか上演しなかったよ。フロイトは人生の大半をそこで過ごしたし、それで正解だったと思う。

──実現しなかったコンセプト作品のアイディアはありましたか?

アラン・パーソンズ:アラン・パーソンズ・プロジェクトの2作目としてH.G.ウェルズの『タイム・マシン』を考えていたんだ。でもエリックはアイザック・アシモフの『われはロボット』を推して、結局彼の意見が通った。それがアルバム『アイ・ロボット』(1977)だよ。『タイム・マシン』は私がソロ・アルバムとしてずっと後になって発表することになったんだけどね(1999)。

取材・文:山崎智之
Photo by Simon Lowery


アラン・パーソンズ・シンフォニック・プロジェクト『ライヴ・イン・コロンビア』

2016年7月6日発売
【初回限定盤Blu-ray+2枚組CD】¥7,000+税
【初回限定盤DVD+2枚組CD】¥6,000+税
【通常盤Blu-ray】¥5,200+税
【通常盤DVD】¥4,200+税
【2枚組CD】 ¥2,800+税
1.アイ・ロボット
2.沈黙
3.ドント・アンサー・ミー
4.ブレイクダウン
5.大鴉
6.時は川の流れに
7.君は他人
8.サグラダ・ファミリア
9.運命の切り札(パート1)
10.神の使者
11.堅牢の御剣
12.失われゆく神々の国
13.運命の切り札(パート2)
14.万物流転
15.ルシフェラマー
16.静寂と私
17.プライム・タイム
18.狼星
19.アイ・イン・ザ・スカイ
20.オールド・アンド・ワイズ
21.ゲームス・ピープル・プレイ

【メンバー】
アラン・パーソンズ(ギター/キーボード/ヴォーカル)
P.J.オルソン(リード・ヴォーカル)
アラステア・グリーン(ギター/ヴォーカル)
ガイ・エレズ(ベース/ヴォーカル)
ダニー・トンプソン(ドラムス/ヴォーカル)
トム・ブルックス(キーボード/ヴォーカル)
トッド・クーパー(サックス/ギター/パーカッション/ヴォーカル)

◆アラン・パーソンズ・シンフォニック・プロジェクト『ライヴ・イン・コロンビア』オフィシャルページ
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