【インタビュー】あのCMで歌う古澤剛、数奇な人生を明かす。コブクロ小渕や安田顕との運命的な出会い

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■ さらなる運命= 安田顕との突然の出会い

強力なサポーターを得て、激増したホームページへのアクセスと、ライブの動員数。しばらくの間、活動は順調に見えた。だが、純粋にいい歌を歌って認められたいという古澤剛の思いと、彼を売り出したいという周囲の思惑にズレが生じた。強まるプレッシャーと、思うように曲が書けない苦悩。彼はついに、ある決断を自らくだす。

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「最後は僕が逃げる形で、そのプロジェクトは終わりました。そんな時にいい曲が書けるわけもなくて、地元の九州まで逃げ帰って。それで完全に終わっちゃって、すべてが絶望的な日々がそこから1年ぐらい続くんです」

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ここで終わるミュージシャンの物語なら、いくらでもある。だが、古澤剛の物語には続きがあった。彼の運命を転換させる新たな登場人物、俳優の安田顕(TEAM NACS)の登場だ。

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「当時住んでいた都内のアパートの前に、薄暗い地下のダーツ・バーがあったんですよ。そこのマスターがすごくいい人で、そこに行くと落ち着くんですね。ある日いつものようにカウンターに座ってたら、ニット帽を深めにかぶった方が入ってきて、焼酎のお茶割か何か頼んで呑んでるんですよ。で、僕がマスターに“これからどうしたらいいんですかね”という話をしてたら、“剛、この方は役者さんで、おまえの気持ちがわかるかも”って言ったのが、俳優の安田顕さんでした。最初に顔を見た時に、どこかで見たことあるなと思って、『水曜どうでしょう』に出てましたよねって聞いたら、帽子を取って“すいません、そうです”とおっしゃって(笑)。樋口了一さんが『水曜どうでしょう』のテーマ曲を歌っているんで(「1/6の夢旅人2002」)、僕は樋口さんの後ろでギターを弾かせてもらったりしているんですよと言ったら、ものすごい縁を感じてくれたんです」

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合縁奇縁。意気投合したふたりの関係は、やがてひとつのパフォーマンスへと結実する。それが<安田顕ひとり語り>と題した、全国ソロ・パフォーマンス・ツアーへの、ギタリストとしての参加だった。

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「出会って1か月もたたない時に、“2年後ぐらいにひとり芝居のツアーをやりたいんですけど、後ろでギターを弾く人がほしくて。剛さんやってくれません?”って言われたんですよ。どうせ酔っぱらった時の話だろうと思ってたら、2年後に“あの話、やってくれますよね?”って突然言われて、本当だったんだって(笑)。全国12か所42公演をやったんですけど、表現者としてすごくいい影響をもらった体験でした。安田顕さんは、命を賭けて役者に打ち込む方なんですよ。その姿勢をツアーの間じゅう見せて頂いて、僕もすごく触発されて、歌う時には命を賭けなきゃという気持ちは、安田さんからもらったものだと思います。最悪の時期にもそんな出会いがあって、そのタイミングで、樋口さんと同じ事務所に所属させてもらうことになって、だんだん自分の気持ちも音楽に戻って来るんですよね」

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かくして古澤剛の名前が、再び音楽シーンの中でささやかれるようになる。安田顕はもちろん、小渕健太郎も変わらずにサポートを続けてくれた。有名無名問わず、様々な人がどん底期の自分を救ってくれたと、その感激をまるで昨日のことのように生々しく彼は語る。

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「小渕さんや安田さん以外にもたくさんあるんですよ。不思議な出会いというものが。そのひとつひとつが、僕が音楽をやる理由を与えてくれて、もう一度立ち上がることができたんだなと思うんですね。そうやって状況はどんどん良くなってきてはいたんですけど、最終的な自分の心のターニング・ポイントが、2016年の初めにあったんです。自分にとって精神革命が起こった時期だったんですよ。それまでもらってきたいろんな財産──樋口さんや小渕さん、安田さん、事務所の社長、家族、幼なじみとか、みなさんからもらってきたものが全部心の中で調和しあって、スパークした瞬間があったんです。ずっと“何のために生きるのか?”を自問自答していたんですけど、すべてが納得できた瞬間が、2016年の1月か2月にあったんですね」

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それは具体的に何があったのか?と問うと、「自分でもわからない」と笑う。あふれ出す思いを押さえきれず、かつて逃げ出したプロジェクトのスタッフにさえも、感謝の気持ちを伝えるメールを送った。そうすることで、心の中に詰まっていたものがすっきりと溶けた。まさにそんな時、またひとつの出会いが彼に訪れることになる。

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