【インタビュー後編】テスタメント「21世紀を定義する音楽は生まれていない」

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2017年はテスタメントがデビュー・アルバム『レガシー』(1987年)を発表してから30周年というアニバーサリー・イヤーとなる。2017年2月に来日公演を行ったテスタメントのエリック・ピーターソン(G)とチャック・ビリー(Vo)へのインタビュー後編では、彼らがベイ・エリアでスラッシュ・メタルの礎を築き上げた当時のことを思い出してもらった。

◆テスタメント画像



──テスタメントがファースト・アルバム『レガシー』(1987年)を発表して、今年で30周年となります。当時のことを覚えていますか?

エリック・ピーターソン:テスタメントの前身バンドの名前がレガシーだった。アルバムの曲は1983~1986年にレガシー時代に書いたものだったから、タイトルを『レガシー』と名付けるのが理に叶っていたんだ。今でもライヴでプレイする俺たちにとってのクラシックスがいくつも入っている。「オーヴァー・ザ・ウォール」は完璧なテスタメント・ソングのひとつだ。俺にとってのリフ作りやギター・プレイの基軸になった曲だよ。

チャック・ビリー:俺がテスタメントに加入したとき、バンドは既にレコード契約をしていてアルバム用の曲も完成していたんだ。俺は他のメンバー達より歳が上で、音楽の志向も異なっていた。それまではメロディを歌い上げるタイプのボーカルを志向していたし、歌唱レッスンを受けたこともあったけど、それはすべて窓から捨てて、最初から歌唱法を改めなければならなかったんだ。前任者のスティーヴ“ゼトロ”スーザ(エクソダスの現シンガー)が書いた歌詞を自分の中で消化して、俺のボーカル・スタイルを生み出した。そのプロセスには1年がかかった。そうして『レガシー』が1987年に世に出たんだ。

──エクストリームな音楽は、時代を追うごとに次世代の音楽にエクストリーム度で追い越されるものですが、スラッシュ・メタルは現在でもなお最もエクストリームな音楽スタイルのひとつであり続けます。それは何故でしょうか?

エリック・ピーターソン:このまえ息子とそのことを話していたんだ。20世紀の各ディケイドにおいては、それぞれ時代を象徴する音楽があった。1950年代はこの音楽、1960年代はこの音楽…とかね。でも、21世紀を定義する音楽といえるものは生まれていない。だから1980年代に生まれたスラッシュ・メタルが今でも幅を利かせているんだ。俺自身はとてつもなく新しくて素晴らしい音楽が生まれるのを待っているんだけどね。2010年代を象徴する音楽はエレクトロニック・ミュージックになるのかな?ちょっとわからないな。

チャック・ビリー:それに加えて、1990年代の初めに大手レコード会社がメタル・バンドと契約しなくなったことで、メタルが進化を止めたこともあるだろうな。メタルの新しい表現スタイルが出てくるのが難しくなってしまったんだ。

──1960年代末から1970年代初めにかけて、サンフランシスコとベイ・エリアはヒッピー・ムーヴメントの中心でしたが、1980年代前半にスラッシュ・メタルの聖地になったのは、どんな変化があったのでしょうか?


チャック・ビリー:俺の知る限り、スラッシュ・メタルが現れる前のベイ・エリアではグラムとパンク・ロックが流行していた。エクストリームな音楽といえばパンク・ロックだったんだ。スラッシュ・メタルのバンドの多くはパンク・ロックから影響を受けてきた。それでメタリカやエクソダス、テスタメントが出てきたら、グラム・メタルのバンドはみんなLAに転出していったんだ。それでベイ・エリアに残ったエクストリームなバンド達によって新鮮なシーンが作られたんだと考えているよ。

エリック・ピーターソン:それに加えて、イギリスのニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタルからの影響も大きかった。俺が通った学校の友達もアイアン・メイデンやブラック・サバス、ウィッチファインダー・ジェネラル、エンジェル・ウィッチなどのイギリスのメタル・バンドを聴いていた。そんな連中が始めたバンドがエクソダスやデス・エンジェル、ポセスド、ヒーゼン、ヴァイオレンス…ベイ・エリア・スラッシュを作り上げたバンドだったんだ。レガシー/テスタメントもそんなバンドのひとつで、みんな2~3年のあいだにデビューしたんだ。後になって「何故ベイ・エリアからこんなに多くのスラッシュ・バンドが生まれたのか?水質によるものだろうか?」とか言われたけど、本当の答えは誰にもわからない。1990年前後にシアトルからグランジが突然発生したのと同じだよ。

チャック・ビリー:ベイ・エリアには数多くのクラブがあったのも良かった。バークリー、オークランド、サンノゼ…クラブがなくても友達の家のガレージでもパーティーでも、どこでもプレイした。みんな19歳とか20歳で、今の若者だったらレイヴとかDJイベントに行くんだろうけど、俺たちはパンク・ロックやヘヴィ・メタルを求めていたんだ。

エリック・ピーターソン:バンドでプレイするのが“仕事”だなんて考えたこともなかった。自分が“プロ”であると気付いたのは、初めてヨーロッパをツアーしたときだったよ。オランダの<ダイナモ・オープン・エアー>フェスに出演したときはオーディエンスの熱狂ぶり、ライフスタイル、パッチを縫い付けたGジャン…自分たちにファンがいるという事実に衝撃を受けた。もうヨーロッパに定住しようと思ったほどだよ。アルバムがヨーロッパで出てすらいないのに、みんな声を合わせて歌ったりね。

──ベイ・エリアのパンク・バンドで影響を受けたのは?

エリック・ピーターソン:俺はベイ・エリアよりもイギリスのパンク・バンドから影響を受けてきた。セックス・ピストルズやエクスプロイテッド…俺にとってGBHは特別な存在だった。ボーカルもギターも独自のスタイルを持っていて、最高だったよ。

チャック・ビリー:あとトイ・ドールズとか。

エリック・ピーターソン:初めてのヨーロッパ・ツアーで、オランダだったかな、誰かがトイ・ドールズのテープをくれたんだ。それを流していたらチャックが怒り出して、テープを車の窓から投げ捨てたのを覚えているよ(笑)。

チャック・ビリー:「ネリーさんだ象」とか「ファイアリー・ジャック」なんて聴いちゃられないよ(笑)。

──『ロウ』(1994)では日本のアニメーションに捧げたインストゥルメンタル「うろつき童子」が収録されていますが、今でもアニメは見ていますか?


エリック・ピーターソン:日本のアニメはずっと好きだよ。ジブリ作品は欠かさず見ているし、新しい『キャプテンハーロック』の映画も良かった。新しいといっても2013年だけどね。最近になって知ってDVDを入手したけど、日本盤でリージョン(地域)が違って観れなかったんで、リージョンフリーのDVDプレイヤーを買って観たんだよ。「うろつき童子」をレコーディングした当時、俺は『超神伝説うろつき童子』の大ファンだったんだ。それでアニメの音声を使いたくて、制作会社に許諾申請をした。ちょっとしたセリフを4ヶ所だよ。そしたら「テスタメントさんですね。存じ上げています。使用料5万ドルです」と言われた。5万ドルといったらアルバム1枚の制作費より多くてね(笑)、払えないと言ったら「じゃあ2万ドル」だってさ。仕方ないから俺とジェイムズ・マーフィーがスタジオで、自分たちで「ユマチタベニー!」とか、日本語のセリフを真似して録音することにしたんだ。だから随所に入っているセリフの意味がわからなくても、君たちのせいじゃないよ(笑)。

取材・文:山崎智之
Photo by Gene Ambo


テスタメント『ブラザーフッド・オブ・ザ・スネイク』

2016年10月28日
【通常盤CD】 ¥2,500+税
【完全生産限定CD+Tシャツ】 ¥5,000+税
※日本盤限定ボーナストラック/歌詞対訳付き/日本語解説書封入
1.ブラザーフッド・オブ・ザ・スネイク
2.ザ・ペール・キング
3.ストロングホールド
4.セヴン・シールズ
5.ボーン・イン・ア・ラット
6.センチュリーズ・オブ・サファリング
7.ブラック・ジャック
8.ネプチューンズ・スピア
9.カナ・ビジネス
10.ザ・ナンバー・ゲーム
《日本盤限定ボーナストラック》
11.アポカリプティック・シティ(リ・レコーデッド・ヴァージョン)
12.ブラザーフッド・オブ・ザ・スネイク(オルタナティヴ・ミックス)

【メンバー】
チャック・ビリー(ヴォーカル)
エリック・ピーターソン(ギター)
アレックス・スコルニック(ギター)
スティーヴ・ディジョルジオ(ベース)
ジーン・ホグラン(ドラムス)

◆テスタメント『ブラザーフッド・オブ・ザ・スネイク』オフィシャルページ
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