【同世代対談】フルカワユタカ×大木伸夫(ACIDMAN)、「じゃあ、再結成しようよ」

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フルカワユタカが1月28日、自身主宰イベント<フルカワユタカ presents「5×20」>を開催する。これまでBARKSでは、LOW IQ 01とのnet radio対談、TGMXとの師弟対談、米田貴紀(夜の本気ダンス)との先輩後輩対談、ホリエアツシ(STRAIGHTENER, ent)とのnet radio対談と、<5×20>出演アーティストとの対談企画を連続展開してきた。そして、そのラストを飾るのはACIDMANの大木伸夫だ。

◆フルカワユタカ×大木伸夫 画像

両者の出会いはDOPING PANDAのメジャーデビュー当時に遡る。互いが同じボーカル&ギターであり、同年代を生き抜いてきたミュージシャンであるが、出自となるシーンは異なり、20周年を迎えたバンドマンとバンドを解散したソロアーティストという意味では、交差するストーリーとドラマを持つミュージシャンの対談と言ってもいいくらいのものが、ここに成立している。

また、先ごろ<フルカワユタカ presents「5×20」>特設サイトに公開された大木のコメントが秀逸だ。一部抜粋すると、「今回のイベントを受けるにあたり、僕はユタカにある約束をしてもらいました。当日、彼が、いや、彼らがトリでその約束を果たしてくれる事を期待してます!」というもの。この言葉の意図するところは敢えて説明しないが、ズバズバと本音で語り合いながら、そのなかでロックの真理をさりげなく映し出したトークセッションは、同時代を駆け抜けてきた者同士の信頼と敬愛に貫かれて温かい。あと数日後に控える“フルカワ祭り”がますます楽しみなものとなった。

   ◆   ◆   ◆

■出身が違うんですよね
■そういう自覚は互いにあった──フルカワユタカ

──ACIDMANは結成20周年を経て、フルカワさんもキャリア20年を迎えますが、おふたりが出会ったのはどのくらいの時期なんですか?

大木:最初は新潟かな、DOPING PANDAのツアーにACIDMANが出た時(<DOPING PANDA Tour05「High Pressure Time」>2005年10月22日@新潟JUNK BOX mini)だったか。

──ということは、DOPING PANDAがメジャーデビューをしてからですかね。

フルカワ:そうです。僕らがメジャーデビューしたときはもう、ACIDMANは全然売れてましたからね。

大木:DOPING PANDAのデビューは何年だっけ?

フルカワ:2005年。

大木:ACIDMANの3年後か。

フルカワ:当時、アジカン(ASIAN KUNG-FU GENERATION)とACIDMANがドンといってて。ACIDMANに声を掛けてツアーに出てもらったという感じだったと思うんだけど。

▲フルカワユタカ

──お互いの存在はずっと知っていたわけですか?

大木:俺は知ってたな。

フルカワ:面白いのが、下北沢SHELTERのオーディションに落ちているんですよね、アジカンとACIDMANって。

大木:20年くらい前かな、懐かしいね。

フルカワ:僕らとかは受かってて、結構狭き門だったんだけど、結果、落ちたほうがドンと売れるっていう。

大木:そういうわけじゃないと思うけどね(笑)。

──インディーズ時代は、あまり接点がなかったんですね。

フルカワ:ACIDMANとかテナー(ストレイテナー)とかアジカンは当時の<AIR JAM>界隈にはいなくて、後からTOSHI-LOW(BRAHMAN)さんとか市川(LOW IQ 01)さんと後輩として仲良くなっていくんですけど。そういう先輩と絡みがあるバンアパ(the band apart)とかHAWAIIAN6とかドーパンを羨ましく見ていたという話は、よく聞いていたかな。だから出身が違うんですよね。僕らは英語詞でメロコアとかパンクとか、<AIR JAM>の末端で先輩たちとつながりながら名前を売っていって。ACIDMANとかアジカンとかテナーとかは、もちろん<AIR JAM>の影響は受けてはいるんだろうけど、そこじゃないフィールドで日本語ロックとして出てきたという。そういう自覚や違いはお互いにあったんですよね。当時のメロコアで仲の良いバンドっていた?

大木:バンアパとはインディーの時、まだお互いに全然売れてない頃から対バンをしてたかな、下北沢GARAGEとかで。

フルカワ:拠点はGARAGEってことか。ギターロックのバンドはわりと下北沢なんだよね。僕らの拠点は西荻WATTSで。高円寺GEARとか新宿ACB、あと渋谷だとCYCLONEとかGIG-ANTICだったかな、メロコアは。だいたい新宿から吉祥寺に向かっていくような中央線沿線な感じでね、僕らは西荻担当だったので(笑)。だから出会ったのは、もうある程度お互いが大きくなってからで、昔を共有しているわけではないんだよね。むしろ、昔から共有してるバンドっていうと、誰になるんだろう……。例えば俺らは、ギターロックのバンドでは木下理樹(ART-SCHOOL)とは仲が良かったんだけど。

大木:俺はテナーとART-SCHOOLだね。だから、このふたりのいちばんの共通項は理樹かもしれない(笑)。

フルカワ:ははは、そうだね(笑)。ART-SCHOOLは、バンアパと知り合うか知り合わないかくらいから知っていたので。当時<KINOSHITA NIGHT>っていうイベントをロフトでやっていて、ASPARAGUSの(原)直央さんがやっていたSHORT CIRCUITとドーパンを呼んでくれて。木下は、メロコアの界隈と絡みたかったんじゃないかな。それでその日のうちに仲良くなって。

▲大木伸夫(ACIDMAN)

──当時はメロコアとギターロック界隈の接点もなかったんですか?

大木:なかったんですよ。逆に言えば、ギターロックシーンというのもなかったんです。インディーズでも、下北沢ではギターポップとかパワーポップみたいのが流行ってはいたんだけど。でも次のライブの時には、全然違うミクスチャーと対バンだったり、シーンがぐっちゃぐちゃの時代だったので。そのなかでユタカは、この世代では<AIR JAM>のいちばんの直系だと思う。

フルカワ:そうだね。Hi-STANDARDのフォロワーにHAWAIIAN6がいて、SCAFULL KINGのフォロワーにDOPING PANDAがいてみたいな。相撲じゃないけど、お家芸みたいな感じになっていて。それを側から見ていて、どう思っていたのかは興味はある。

大木:俺は、もともとシーンに入るというのが好きじゃなくて。何々系と言われちゃうことに興味がなかったから。逆に、<AIR JAM>世代を知っていたから、ああいう音楽では俺たちは勝てないと思ってた。

フルカワ:2ビートとか英詞に手を出したことはない?

大木:もちろんあるよ。自分たちの音楽を模索するなかでは、何度も何度もやってはいたかな。唯一BRAHMANは、「ACIDMANっていうバンド名に似てるバンドがいるよ」って友達から教えてもらって、下北沢のHIGH LINE RECORDSで音源を買って、衝撃を受けて。今でもBRAHMANだけはちょっと影響を受けているかなと思う。

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