【インタビュー】GOSPELS OF JUDAS、1stアルバム発表「氷室さんから受け取ったメッセージは、“音楽だけで、どこまで物語を作ることができるか”」

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構成メンバーが桁外れのキャリアを持つプロジェクト“GOSPELS OF JUDAS”が、7月18日に1stアルバム『IF』をリリースした。GOSPELS OF JUDASとは、2012年に氷室京介と親交の深いクリエイター達が集まり、“クリエイティヴィティだけを元に自由に生まれた音楽を、デジタルツールを通してリスナーに届けたい”という思いから作られたDiGiTRONiX (デジトロニクス)プロジェクトのひとつ。氷室京介のレコーディングやライブにギタリスト兼アレンジャーとして参加するなど幅広く活躍しているLA在住の日本人ギタリスト、YTことYUKIHIDE TAKIYAMAがその中核を担い、自由に楽曲を創出できるプロジェクトとして、またそういった想いを共有できるアーティスト仲間が参加するプロジェクトチームとして誕生した。

◆GOSPELS OF JUDAS (ゴスペルズ オブ ジュダ) 画像ページ

記念すべきフルアルバム『IF』は、ギター&ヴォーカルとしてYTが中心となり制作された楽曲が多く、また、ライブ活動休止前に録音した氷室京介のヴォーカル曲も既発曲「Bloody Moon」「Play within a Play」に加えて2曲収録されている。BARKSでは、YT、そして、このプロジェクトの立役者のひとりであり、『IF』で作詞や作曲も手掛けているJun Inoueへの取材を実施。他にはない、GOSPELS OF JUDASという思想、そして今回のアルバムの核に触れた独占インタビューをたっぷりとお楽しみいただきたい。

  ◆  ◆  ◆

■ どうしてもYTを氷室さんに紹介したかった
■ 「とにかく凄いギタリストがいるんです」って

▲右からYT、Jun Inoue

──インタビュー初登場ということで、まずは基本的なお話から訊かせてください。日本の高校を卒業後、バークリー音楽大学に進学して以降現在までLAに在住されているとのことですが、YTさんが本格的にギターへ興味を抱いたのは?

YT:高校生の頃にギターを始めたんですけど、きっかけはヴァン・ヘイレンの『5150』(1985年発表)でした。サミー・ヘイガー加入後の最初のアルバムで、そこからデイヴィッド・リー・ロス時代に遡って聴いたり。その他にもギターヒーロー的なものはだいたい聴きました。

──いわゆるギター少年だったということですか?

YT:もろにそうですね。ただ、ヴァン・ヘイレンから、ブルースギタリストのほうに興味が移っていったんですよ。スティーヴィー・レイ・ヴォーンとかのロックブルース、そこからマディ・ウォーターズとかのブルースへ。コピーしていくうちに、音楽についてもっと深く知りたくなって、アレンジに関心を持つようになっていった。それで、いろいろな音楽学校を探してバークリーに進学したんです。

──結果、バークリー音楽大学ではギター科ではなく、アレンジ&オーケストレーション科を専攻したそうですね。

YT:ギターを始めて最初の1〜2年くらいは必死にコピーをしてたんですけど、人のコピーだけではなくて、自分なりのソロを弾きたいと思ったときに、なにをやっているのかが理解できていないとカッコいいソロが弾けないことに気づいて。このコード進行はどうしてカッコいいんだろう?とか、曲のなかのアレンジでこういう楽器が鳴るとどうして盛り上がるんだろう?というところがどんどん気になるようになったというか。だから僕のなかでは、アレンジ&オーケストレーション科という選択は普通のことだったんです。

──日本の音楽専門学校ではなく、米国ボストンのバークリーへ留学するというのは並々ならぬ決意でしょうし、音楽教育の最高峰といわれるバークリー卒業生はエリート視される難関校でもあります。

YT:うーん、そうなんですかね。まあ、理論は叩き込まれますね。彼も卒業生なんですよ。

Jun Inoue:僕自身は15歳でドラムを始めたんですけど、アメリカでバンドをやりたかったので高校卒業してすぐに渡米して。そのためにバークリーのドラム科に入学したら彼がいたという。僕が18歳で彼が19歳のときに学校で出会って。こんなにすごいやつがいるんだ!?ってビックリしたことを覚えてます。

──では、Jun Inoueさんとは氷室さんのプロジェクトで知り合ったのではなく、10代からの学友だったわけですね。バークリー在学中、「理論を叩き込まれた」ということですが、アレンジ&オーケストレーション科ではどんな勉強を?

YT:たとえばオーケストレーションだったら、それぞれの楽器の特徴だったり、一番低いドの音から何オクターブまで出せるとか、まず、そういうところから。ストリングスセクションをどう使ったら楽曲がどうなるとか、そこにホーンセクションを絡める方法を学んだり。

Jun Inoue:彼はバッハとかが好きでオーケストレーションを専攻してたんですよ。その理論に入る前にイヤートレーニングっていうのがあるんですけど、最初に耳を徹底的に鍛える。それは日本と違うと思いましたね。ある音程が流れて、それと同じ音を出してみるところから始まって、それがどんどん高度になっていくような。

──アレンジャーとしても活躍している現在のYTさんに大いに役立ったカリキュラムですね。おふたりはバークリーで一緒にバンドをやったり?

YT:外国人ベース&ボーカルを加えたトリオで、リフもののハードロックをやってましたね。メロディーがキャッチーで人が身体を動かせる音楽というか。

Jun Inoue:“ダンスとロック”みたいなところをテーマに曲を作ってましたね。

──グルーヴがカッコいいということは、既にGOSPELS OF JUDASのアルバム『IF』に通ずるものがありますが。

YT:当時からそうですね、グルーヴが一番大事。それとギターリフは僕にとって欠かせないものなので。

▲YT

──バークリー卒業後は?

Jun Inoue:僕は日本に戻ったんですけど、彼はずっとLAに。

YT:寒かったので(笑)。

──ははは! どういうことですか?

YT:ボストンが寒くて動けなかった(笑)。で、夏の日本は湿気が多いでしょ……いやだなって。……これは書いてもらわないほうがええんかな(笑)。

──バイオグラフィによると、バークリー卒業後はThe Boxing Gandhisにベーシストとして加入したほか、COLBIE CAILLATバンドにギタリストとして参加するなど、ミュージシャンとしての活動が本格スタートしたと。

YT:最初はローカルバンドに入ってLA界隈のクラブでライブをやっていたんですけど、その後The Boxing GandhisやCOLBIE CAILLATバンドでアメリカ全土をツアーしたり、パット・ベネターの前座の話をいただいてツアーを廻ったり。

──というアメリカでのバンド活動の一方で、嵐やKAT-TUNなど邦楽の数々にディレクションやギタリストとして参加したのが2006年以降ですか?

YT:LAレコーディングがあって、何回かギターを弾いたんですけど、そこで再び彼の登場です(笑)。

Jun Inoue:僕は帰国して10年くらい、インハウスディレクター/プロデューサーの仕事をしていたんですけど、そのときに担当していたのが嵐とKAT-TUNで、嵐のLAレコーディングセッションを行うときに彼に声をかけたんですね、それが最初かな。と同時に、僕自身の“日本でプロデューサーをやるんだったらこの人と仕事をしてみたい”っていう憧れのアーティストのひとりが、氷室さんだったんですね。氷室さんの事務所に飛び込みで「こういうアーティストを担当しているんですが、楽曲を書いていただけませんか?」という連絡をしたところ、ラッキーなことに快諾していただいたという。

──それが氷室京介さん作詞作曲によるKAT-TUNのシングル「Keep the faith」(2007年)ですね。

Jun Inoue:そうです。その後、どうしても彼を氷室さんに紹介したかったので、「とにかく凄いギタリストがいるから、一度会っていただけませんか」とお願いして、「Keep the faith」のマスタリングの後にLAのレストランで氷室さんとYTと食事を。

──YTさんと邦楽アーティストを次々につなげ、氷室さんに引き合わせたのもJun Inoueさんだったわけですね。氷室さんとLAで初対面したときのことは覚えていますか?

YT:ガッチガチに緊張しましたね(笑)。高校時代は洋楽のコピーしつつも、周りにはBOOWYのコピーをやってる友達がたくさんいて、それこそ文化祭とかで「弾いてくれ」って頼まれたり。BOOWYのアルバムとかライブビデオとかをもの凄く観て、“カッコええなー”って思ってましたから。実際にお会いしたときは頭の中が真白です(笑)。覚えているのは、氷室さんは新しい音楽を常に探している方なんですよ。LAにオルタネイティヴロックばかりかかるラジオ局があるんですけど、「そういうラジオ聴くの?」って訊かれて、僕はそのとき全然ラジオとか聴いてなかったので「いえ、聴いてないです」って答えたら、「もったいないよ! せっかくこれだけカッコよくて新しい音楽がたくさん流れているんだから」と。で、「わかりました!聴きます」と(笑)。

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