【対談連載】ASH DA HEROの“TALKING BLUES” 第9回ゲスト:SHOGO [175R]

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■こんなバンドを組みたいって思ったのが
■1980年代のあの感じだった

ASH:僕はSHOGOさんに音楽的バックボーンを訊きたかったんですよ。音楽雑誌とかで175R特集とか読んでたから、未だに脳裏に刻まれているインタビューもあるんですよ。“どこそこのライブハウスでお客さんが3人しかいなくて、めちゃめちゃ悔しかった。その3人には申し訳ないけど、ずっと背中を向けて歌っていた”と。ああ、カリスマ的な存在の175Rにも、そんな時期があったんだなって。

SHOGO:いろいろあったよ。

ASH:『ミュージックステーション』に175Rが初登場したとき、「今、ツアー中です」と言ってて。でも、「福岡から上京するとき15時間ぐらい車を運転して。今は電車移動できるような状況になりました」とか話していたんです。もう、バンドが駆け上がっていくサクセスストーリーが、高校生の僕にはバンバンに伝わってきたんですよね。ライブハウスの落書きを背負ってテレビに出て、そして『NHK紅白歌合戦』にも出演して。それをリアルタイムで僕は観ていたんですよ。だから、実はめちゃめちゃ影響も受けています。

SHOGO:そんなこと言ってもらえると嬉しいね。

ASH:でも、前に一緒に飲ませていただいたとき、SHOGOさんが「俺はヴィジュアル系がすっげー好きでさ」と言ってて。“マジで!?”と(笑)。

SHOGO:世代だよね。ヴィジュアル系というよりも、X JAPANが好きだったの。周りはみんな、X JAPANが好きだったし、当時、朝のワイドショーで特集されるぐらいだったでしょ。リポーターの東海林のり子さんがX JAPANのことを大好きだったから、X JAPANが東京ドームとかやるときには絶対に特集も組まれていて。ああいうバンドスタイルで『NHK紅白歌合戦』にも、『ミュージックステーション』も出演する。当時、録画しておいた1992年ぐらいからの音楽番組のビデオは、今も持っているよ。だからヴィジュアル系が好きというよりも、X JAPANが全てで、“ヤンキーみんな、聴いてました”みたいな。その前の音楽体験を言うと……爆風スランプってバンドを知ってる?

ASH:もちろんです、最高ですよね。

SHOGO:「大きな玉ねぎの下で」をどこかで耳にして、“なんて、いいメロディなんだ”と。小学生ぐらいだったんだけどね。当時、カラオケボックスが誕生したぐらいで、コンテナみたいなのが幾つも並ぶ感じのカラオケボックスだったんだよ。今は普通にビルの中に部屋があるでしょ? そうじゃなくて、受付して、受付から外へ出て、いっぱい並んでるコンテナのひとつを使うんだよ。

ASH:そういう時代があったんですか?

SHOGO:昔のカラオケボックスはそうだったの。本当に“ボックス”だったから。そういうカラオケボックスで、俺は「大きな玉ねぎの下で」を家族の前で歌って。「よく覚えたね、うまいね」と褒められたのを今でも覚えてる。だから邦楽がもともと大好きで、ヴィジュアル系とかそういう分け隔ては自分にはなかったから、いいと思ったものは聴く。敢えて言うなら女の子の曲は聴かなかったかな。男子が歌う邦楽が好きで。そこに出てきたのが、Hi-STANDARDとか山嵐。俺が高校生のとき、“これはなんじゃ!”と。“めっちゃカッコいいじゃん”と。もちろん、その前にあった1980年代のバンドブームの曲も好きで、ジュンスカ、ユニコーン、ブルーハーツとかも、もちろん聴いてたよ。

ASH:僕はてっきり、SHOGOさんは1980年代のバンドブームからめちゃめちゃ影響受けているのかと思ってた。

SHOGO:もちろん影響も受けているけど、俺は1980年生まれだから、まだ幼かったんだよね。だから後から聴いて掘っていった感じで。ちょうどCDレンタル屋が栄えていた時代だから、レンタルしたり、レンタル落ちで安く売ってるアルバムとか買って。

ASH:僕にとってのヴィジュアル系ってそういう感じだったんですよ。楽器が好きなヤツらはみんな通っていたんで、共通言語を得るために勉強という形で聴くっていう。

SHOGO:なるほど。だってX JAPANのアレンジはハンパないから。ヴィジュアル系とか呼ばれているけど、ヘヴィメタルとハードロックが合体したみたいな形で、音的にはやっぱり凄いわけだよ。今、聴いても凄いと思う。

ASH:YOSHIKIさんとHIDEさん、もちろん他のメンバーも凄まじい。国内でもトップクラスのコンポーザーが二人いたってのが凄いと思うんですよね。

SHOGO:あと屋台骨である石塚智昭……本名を出してしまうファン心理というかね(笑)。PATAさんね。

ASH:ハンパないっすよ。さっきまでギターソロを弾きまくっていたのに、次の展開では綺麗なバッキングを弾いたり。ライブでの再現率も含めてX JAPANは凄いっすよね。

SHOGO:俺、めっちゃ観てたから。ビデオも擦り切れるまで観た。X JAPANは今でも大好き、映画も観に行くし。でも自分が化粧して髪を真っ赤に染めてとかは、なかったんだよね。

ASH:それはやろうと思わなかったんですか? えっ、そもそもバンドを始めるきっかけは?

SHOGO:バンドは高校1年生で初めて組んだんだけど、1980年代のブルーハーツとかジュンスカとかを観て、“自分にはこれが合ってるんじゃねえか”と思ったの。中学生のときに『ろくでなしブルース』って漫画が大好きになって、その本の中にブルーハーツのメンバーとかが出てるの。

ASH:僕もその漫画は大好きです。

SHOGO:そういうのも全部作用して、“俺がやるなら、こんなバンドを組みたい”って思ったのが、1980年代のあの感じだった。

ASH:凄いっすね、組むときからブランディングできているのが。もっと衝動的な人のほうが多いじゃないですか。X JAPANが好きだったら、そういうバンドをやってしまいがちで。

SHOGO:でも、カラオケが流行った時代だけあって、いろんな曲を歌うじゃん。“自分に合うのはこんな感じかな”って。自分のお手本はジュンスカだったのかな。“宮田和弥さんみたいな感じだな”と思ってバンドを始めたんだけど、そこにHi-STANDARDも出てきたから、“うちは英語もごちゃ混ぜでやっちゃえ!”みたいな。それが最初の175R。

ASH:俺、日本の音楽シーンにとって175Rは発明だと思ってて。J-POPやJ-ROCKのいいところと、ストリートシーンのいいところが合わさって、そのままオーバーグラウンドに行ったという印象なんです。

SHOGO:そのセコい感じは自分でも確かに感じた(笑)。

ASH:セコくないですって(笑)。

SHOGO:いや、やりながら俺も思ってた(笑)。好きだったから、どっちもやりたかったのよ。

ASH:でも普通はうまく混ざらないですよね。でも、話を聞いてすごく分かった、だからあのサウンドなんだって。


SHOGO:最近、30代前半の男の子たちに会う機会がよくあって。俺は今、セブ島に住んでいるんだけど、そのぐらいの世代の日本人が起業してるから、現地で会うことも少なくないんだよ。「175Rすげー好きで、CDも全部持ってて、ライブもいっぱい行ってた」とか、嬉しいぐらい話してくれるの。その中の一人に、“175Rがメジャーに行ったときに「ハッピーライフ」を日本語で歌ったじゃないですか。それで引いたんです”って言われて。「いや、175Rを組んだときから、俺は日本語も英語も歌ってたんだよね」と。インディーズで出した最初のシングルが、ほぼ全編英語。でも、次にインディーズで出たアルバムは、日本語の曲もいっぱい入ってたんだよ。だから「ハッピーライフ」をリリースするとき、“日本語の曲をついに出しました感”は、俺らにはなかったの。

ASH:なるほど。

SHOGO:でも、「みんなにはメロコアで英語で歌っているバンドというイメージが強かったのかな」という話も彼にはしたし。「もちろん「ハッピーライフ」で、俺たちはインディーズのメロコアシーンから離れちゃって、それで引いた人もいっぱいいたと思う。俺だってそう思ったよ。でもね、メジャーへ行って「ハッピーライフ」を出したことで、それよりも多くの人に175Rを知ってもらえた。だから間違いではなかったと思う」という話も彼にはした。ただ、邦楽の良さと、メロコアの英語の良さを両方やったというのは、175Rを組んだときから始めていたことに間違いはないんだよね。

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