【インタビュー】Chicago Poodle、10周年と黎明期を語る_第一章「3人で続けることを受け入れてくれた」

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■出てみてあかんかったら、その程度かなって
■そうしたらグランプリを獲ったんですよ

──3人それぞれのバンドキッズ時代があったわけですね。

花沢:ええ。で、大学に入って本格的なオリジナルバンドを組もうと思って杉岡(秀則)っていうギタリストと組んだのがChicago Poodleの始まりです。じゃあ、メンバーを集めようって山口に声をかけてキーボードには原田(直弥)、ベースは最初、辻本じゃなくて三上(れいじ)の5人編成だったんですよ。オリジナルと並行してエアロスミスとかボン・ジョヴィのコピーとかもやっていて。

山口:当時の花沢の曲はどちらかというとアメリカンロックテイストだったんですよ。最初はピアノを弾かずにボーカルに専念していたし。

花沢:そうだね。最初はバンド名もChicago PoodleじゃなくてHORIZONだった。

山口:杉岡がつけたバンド名ですけど、なんか英語の教科書みたいやなって(笑)。

辻本:『NEW HORIZON』(笑)。

花沢:杉岡の中ではこだわりがあったんですよ。“地平線に沈むのも浮くのも僕ら次第だ”って目を輝かせながら考えてきたバンド名なんですけど、よく考えたらダサいなって(笑)。

山口:なので、すぐ変えました。当時は僕ら、MR. BIGが好きやったんですよ。「COLORADO BULLDOG」という彼らの曲があるので、もじってChicago Poodleにしたんです。

花沢:地名と犬つながりでいこうって(笑)。

▲山口教仁 (Dr)

──そして初のオリジナル曲もやるバンドがスタートしたと。

山口:でも、メンバー5人ともクセのカタマリみたいな性格やったんで、けっこう衝突しまして。

花沢:よく喧嘩しましたね。

辻本:個性が強かった。三上くんはメタル好きなむちゃくちゃテクニカルなベーシストで。

花沢:曲作って譜面渡しても勝手に変えてくるんですよ。「このコードで弾いてほしいんだけど」って言っても「こっちでええやん」って全然違うコード進行で弾きだす。で、クビにしようかなと(笑)。

山口:その前にギターの杉岡とウマが合わなかったキーボードの原田が抜けたんです。三上をクビにして辻本くんが加入したのが2002年ですね。

──4人体制になって花沢さんが鍵盤を弾きながら歌うようになったのは、ひとつの転機だったんですね。最初からプロを目指していたんですか?

花沢:いや、定期的にライブハウスに出るぐらいで趣味の範囲でしたね。

──辻本さんはChicago Poodleのライブを見ていたんですか?

辻本:いや、見ていなかったです。共通の知り合いから「ベース探してるらしいぜ」って言われるまで僕は、Chicago Poodleの存在をよく知らなかったんです。当時の僕は「ヴィジュアル系で食っていく!」っていう覚悟で、髪も縮毛矯正して長くして、コンタクトしていい感じに仕上がっていたんですけど(一同笑)。

辻本:相方と「一緒にてっぺんとろう!」って意気込んでいたんですけど、ある日、そいつに呼び出されて「俺、明日からパチプロになるわ」って(笑)。

──ははははは!

山口:えらい道が離れたな(笑)。

辻本:当時の僕らは、お客さんが少ない中でライブをしていて、あるときステージにバーンと出ていったらお客さんがゼロでPAさんと照明さんしかいなかったりとか(笑)。

花沢:なのに、ちゃんとライブの告知したらしいですよ(笑)。

辻本:そう。誰もいないのに“ここで告知します! 次のライブは◯◯でやります。ジャーン!”みたいな(笑)。

山口:まぁ、大事なことですよね。

▲『10th Anniversary Best』通常盤

辻本:「てっぺんとる」って思っていただけに傷心状態で、そんなときにChicago Poodleのことを聞いて「どんな曲やってるの?」って自主制作のCDもらって聴いたら、僕がやっていたバンドとは雲泥の差で、ちゃんとスタジオに入ってエンジニアさんつけて録ってるし、当時僕は洋楽を聴いていなかったんですけど、そういうテイストが入っていて新鮮だったんです。「このバンドでベース弾いたら面白いかもな」って。スタジオにいるっていう噂を聞きつけたので勝手に行って勝手にベース弾いたら、知らない内にメンバーになっていました(笑)。

山口:ははは。1回スタジオで合わせようって話はしていたんですよ。

辻本:加入したらChicago Poodleはお客さんもしっかり呼んでいるし、意識高く活動していたんですよ。彼らはプロになるとか具体的に考えていなかったと思うんですけど、僕的には花沢の作る曲や歌、メンバーの個性も含めて「いけるんちゃうかな」って。で、コンテストに応募したんだよね?

花沢:そうだね。

辻本:スタジオにコンテストの張り紙がしてあって。

──それが2003年に京都で開催された『全国学生音楽コンテスト』ですか?

辻本:そうですね。タイミングもよくて、ちょうどレコーディングをしていたときだったので、音源を送ったのを覚えていますね。

花沢:その時点でも僕らは“プロになるぞ”って強く思っていたわけではなかったんですよ。まわりが就活する中、“どうしようかな”って個々では思っていただろうけど。で、1つの区切りとしてスタジオの『第1回京都学生音楽祭』のポスターを見て、「コンテスト受けてみようぜ」って。

辻本:実力を試すような感覚で。

花沢:出てみてあかんかったら、その程度かなって。そうしたらChicago Poodleがグランプリを獲ったんですよ。

──いまに繋がる大きな出来事ですね。

辻本:認められたという意味でも大きかった。

花沢:それでいまの会社のレーベルからインディーズデビューさせてもらったんです。

辻本:優勝したのでCDを出してみようっていうことになって作ったのが『White mini album』(2004年発表)ですね。

山口:そうしたらラジオ局の方がパワープレイにしてくださって。

辻本:まわりの人から「いいね」って言われるようになって、しかも何万曲も聴いているラジオ局の方から褒められたので自信に繋がりましたね。

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