【コラム】スターダスト☆レビューを、2020年に聴く。 ~BARKS編集部の「おうち時間」Vol.056

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スーパーでアルバイトをしていた頃、音質の酷い有線放送から流れてきた曲を聴いて、「最近の若いバンドって随分クールな曲を書くもんだな」と感心したことがある。後から知ったが、その曲はスターダスト☆レビューの「世界はいつも夜明け前」だった。還暦過ぎてた。

   ◆   ◆   ◆

1997年生まれの私は、1980年代後半~1990年代の音楽シーンのことをよく知らない。とはいえ、尾崎豊や中森明菜、松田聖子などは歴史の教科書にも載っているくらいだし、小中学校で配られる音楽の補助教材には松任谷由実や井上陽水、SMAP、スピッツ等の曲が沢山載ってたから知っている。

けれど20代にとって、80年代後半~90年代は近すぎず遠すぎず、全体的なイメージが掴みにくい時代でもあるのだ。要は「ギリギリ懐メロになるかならないか」くらいがいちばん難しい。もっと踏み込むと、1991年~2000年生まれのひとの親は、1985年~2005年くらいに就職・結婚・出産・子育てにドタバタしていたわけなので、余計に音楽から離れてしまう。

そして、私にとって80年代後半~90年代の音楽は「どんなアーティストが活動していたかは知ってるけど、全体的な空気感が掴めない」ものになった。ちなみに80年代後半以前だと「ポピュラー音楽史」という“学問”の範疇なので、「授業で習いました」と言えたりする。

それに追い打ちをかけるのが、インターネットの発達だ。ネット時代はアーティストの情報を手軽に得られる時代でもあるが、一方では趣味が「狭く深く」なりがちで、「名前を知らない“古めの”アーティスト」と出会える機会が減ってしまっている。

テレビの「懐メロ特集」を観ていても、流れるのは演歌・歌謡曲が4割、アイドル4割、残りの2割が超大物アーティスト。こうなると、「常にシーンの第一線で走り続けていたが、ビッグヒットした楽曲の印象は薄い大物アーティスト」の知名度が下がってしまう。これは結構、今の時代ならではの問題だ。

そんな状況の中で若者がスターダスト☆レビューと出会うには、けっこうな回り道が必要なのかもしれない。音楽史の教科書で取り上げられるアーティストたちの作品、たとえばサザンオールスターズ、宇多田ヒカル、浜崎あゆみ、安室奈美恵らの楽曲が「新発売のフレーバーのアイスクリーム」ならば、スタレビの多彩かつ優れた楽曲は「定番のバニラアイス」だ。ゆえに彼らの作品は「時代を彩る名曲集」的な音楽番組で紹介される印象が薄くなり、出会いの機会が少なくなってしまう。

しかし、このバニラアイスは最高のパティシエが最高の素材を使って作った超美味しいバニラアイスなのである。一口食べれば、ほっぺたが落ちちゃうこと間違いなし。何だかんだ、バニラアイスがいちばん美味いのだ。

時代や流行に左右されない「定番」な音楽は、いつ、どこで、誰が聴いてもちょっと懐かしくて、それこそ流れ星を見つけたときのように、幸せな気持ちを作ってくれる。いわゆる「流行りの音楽」ではないからビッグヒットすることこそ少ないけれど、その優れた音楽は、100年経っても色褪せない。

「自粛大作戦」と銘打たれて公開された「シュガーはお年頃」を聴いたとき、なんて音楽なんだろうと思った。小洒落たメロディは100年前のクラシカルな流行歌にも聞こえるし、レトロな可愛さを狙った2020年の最新曲にも聞こえる。それにしても、おじさまたちがニコニコ笑顔で音楽をやっている様子って、理屈うんぬん吹っ飛ばして、見ているだけで元気が出る。


ついでに、「シュガーはお年頃」の「単純で陽気な恋の愉しみ」という歌詞のテーマは、それこそ何百年も前の人にだって共感されるだろうし、数百年後の人にも心地よく歌われることだろう。恋愛に対する価値観は変化していくけれど、こういう浮かれた気分は変わることが無い。

この「普遍性の巧さ」は代表曲「木蘭の涙」にも言える。音楽と詞で描かれているのは「映画の中のような悲劇的な死」ではなく、「普遍的なものとして誰にでも訪れる死」。世の中に「天国から見守っていてね」「身体は死んでも魂は不滅」的な曲はたくさんあるけれど、いざ自分が大切なひとを亡くすと、そのときの想いは「木蘭の涙」になってしまうのだ。


それでも、普遍性の中にはピリリとした個性が匂う。そもそも、根本要は結構癖のあるヴォーカリストだ。この系統のハスキーな声質はそう多くなく、歌い方という面でも王道的ではない。音域もテノールというよりアルトという印象で、「音が高いから男の人はカラオケで歌いにくい」というのはメンバーも話している。

けれど彼が歌うと、音楽はジャンルを離れて「要さんの曲」になる。スタレビには歌謡曲や演歌テイストなメロディの曲もあるが、独特な声質で歌われたら、それはもうロックだ。「Crying」などは演歌歌手が歌えば演歌にもなる旋律なのに、見事なロックバラードとなっている。


音楽シーンに「時代による声質の流行り」は存在していて、それと合致する歌手は爆発力が極めて高い。しかし独特な声質のヴォーカリストは、声質から時代感を消すことができる。声質といういち要素だけで音楽に個性をつけられるヴォーカルを有するバンドに、怖いものは何もない。


「潮騒静夜」などを聴くと、彼の声に歌われる詩が羨ましく感じる。自分の色に染めつつも、単語ひとつひとつの母音と子音を掴むように歌う様は、何よりも言語を映えさせる。この曲、詞だけならば割と決然とした強さがあるのだが、歌声と曲でしなやかさや柔らかさを作り、リアリティのあるひとつの人格を作り上げているのが凄い。


また、演奏がものすごく上手いのも魅力だ。音楽もバンドもゆるく楽しい雰囲気でありながら、サウンドは洗練されていて、キメが細かくストイック。このギャップが超ロックだ。一切の妥協なく噛み合った各々の演奏とコーラスから生み出される音の密度は目を見張るほど。それを生で堪能したいがために、ライブ会場へ足を運ぶファンも多いはず。


あと、これは完全に私感だが、メンバーに「ドラム」と「パーカッション」がそれぞれいるバンドは、良いバンドと相場が決まっている。ここが補強されると、音の“遊び”の幅が倍以上に大きくなって、常にあらゆる音色が耳をくすぐり、色彩が目まぐるしく展開されるようになるのだ。カスタネットの1打の有無で、音楽の質はガラリと変わる。これを意識しているバンドは、絶対に“間違いない”。

極論言ってしまえば、正統派なロックバンドは3ピースから成立する。そんな中、メンバー4人にサポートふたりというスタレビの構成は、ロックバンドとしてはかなり大きい。それに楽器構成もなかなか特殊だ。それでも演奏を聴くと、全てのミュージシャンの均衡が完璧に保たれていて、パズルのピースを嵌めるようにサウンドが作られていることがよくわかる。


ところで皆様は、5月24日(日)に配信されたソーシャルディスタンス☆アコースティックライブ『39年の感謝を込めて、リクエスト大作戦!』をご覧になられただろうか。私は笑いすぎてめちゃめちゃお腹が痛くなった。自粛生活の中でいちばん笑ったかもしれない。

こちらの配信ではファンからのリクエスト投票によって演奏曲を決めるという試みが行われていたのだが、なるほど面白い投票結果だったと思う。この手の企画は「著名曲投票」になりがちなのだが、「木蘭の涙」が10位圏外というあたりでファンの本気をゴリゴリに感じた。まあこの曲に関しては「絶対歌うだろうから、今回は投票しなくても良いか」的な駆け引きがあったような気もする。

結果として投票上位3曲は、「新型コロナ禍の“いま”聴きたいor聴かせたい曲」になったと思う。ものすごく穏やかで、幸せな時間だった。画面の向こうでミュージシャンたちが笑顔でいるのを観るだけでも、温かい気持ちになれた。私は遠回りをしてスタレビにたどり着いたけれど、遠回りをしてよかった。そう思えた。


さて近頃、音楽は「清く・正しく・激しく」路線が流行しているようだ。最近の若者は、芸術家肌だったり、ストイックでエモーショナルだったりするアーティストに惹かれるらしい。かくいう私も若者のひとりだが、インターネットの発達以降は2歳も歳が違うと「この超有名アーティストといえばこの超有名曲だよね」「えっ? そのアーティスト知りません」が起こるから恐ろしい。大学にいたとき、これで年齢詐称がバレた。マジでヤバい。

そんな中でも安定した音楽活動を貫くスターダスト☆レビューを、「低空飛行バンド」と思っているひとはいるかもしれない。実際、彼らは時代の最前線で爆発的ヒットを連発させるタイプではなく、「アルバムの売上枚数よりも、ライブの来場者数のほうが多い」的なことを話していたりもする。

しかし考えてもみたら、爆発的なヒットの印象が薄いにもかかわらず、3億枚も売れたクイーンと同じ会場を埋めてるのって、とんでもなくヤバいことだ。そう思うとスタレビは、日本音楽史上かなり特異的なバンドなのかもしれない。

そんなバンドと同じ空の下、同じ時を生きられる幸せを噛み締めて。スタレビの音楽が再びホールを満たす日のために、もうしばらくこの苦しい時間を楽しもう。音楽に耳を傾けて、楽しく語り合いながら。


文◎安藤さやか

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