【インタビュー前編】Psycho le Cému、新章スタート前夜に語る「常に新しいものを」

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■Psycho le Cémuは不思議と
■6年周期みたいなものがある

──AYAさんはどうでしたか? 姫路までの期間、昨年の前半は。

AYA:しんどかったっすね。20周年ツアーが途中で止まっちゃったというのがあって。個人的には、20周年が終わった時点で再始動から5年ぐらい経つことになるので、“一回みんなで話し合ってちゃんとアップデートしたいな。気持ちを切り替えたいな”と思ってたんですよ。それが結局できないままで、ずっと新しいものもつくれず足踏みしている感があって。曲もつくったけどリリースできへんし、ライヴがないから衣装もつくられへんし。ずっと過去のものを繰り返すことへのしんどさは結構、その頃ありましたね。

seek:Psycho le Cémuは不思議と6年周期みたいなものがあるんですよ。1999年に結成して2005年に一度止まって。2014年から始まって2020年に20周年プロジェクトを1年掛けてやろう、と。それはこの再始動以来の総集編でありつつ、最後の最後に自分たちのデビュー時の『理想郷旅行Z』というテーマで締め括ろう……というプロジェクトが、未だ締め括れてない状態ではあるので。そこがネックはネックですね。

AYA:……大変でしたね(笑)。

seek:AYAくんはやっぱり企画を考える人間やから、余計そこにもどかしさはあったのかもしれないですね。Psycho le Cémuは役割分担が結構あるので、その分担の担当ならではの悩みはあったりするかもなぁ。

DAISHI:企画は生もんやからさ~。

AYA:うん、“今やりたい”っていう。

DAISHI:今せな、腐る時もあるもんな。

seek:一回旬が過ぎちゃうと“今じゃないな”ってなるもんね。

DAISHI:まさに20周年の熱がそうかもね。

AYA:昔の曲が嫌とかではないんですけど、やっぱり常に新しいものをつくっていかないと、なんかダメになっちゃいそうなって感じがしてて。


▲Lida (G)

──姫路公演そのものに関しては、どう振り返ってらっしゃいますか?

AYA:姫路は、昔からお世話になっている楠本柊生帝國元帥が脚本を書いてくれて。ミュージカルというか、ちょっと自分ら的には新しい見せ方ができたので、“絶対、これからのPsycho le Cémuには重要なきっかけになるな”っていう手応えがありました。

DAISHI:過去一じゃないですかね? あのお芝居は。

seek:ファンタジーと、バンドが20年掛けて築き上げてきた“僕らの物語”が本当に一つの脚本になっていたので。長い間観ていただいてる元帥やから、書いていただけた脚本やったな、というのはすごく感じてた。

DAISHI:子役のリョウガくんも出演してもらって、子ども時代の僕(少年勇者)が今の僕と出会うという設定の、わりと凝った脚本だったんですよ。その後のZepp Tokyoも含め、最後まで元帥に出演もしていただいて、脚本も書いていただいたんですけど……不幸があって。体調を崩されて、台本も出演も、それが元帥の遺作になっちゃったんです。

Lida:もともとはそのツアーがあって、それの最終的なまとめで姫路公演という流れだったのが逆転して、姫路が先でその後にツアーをするという流れになったので。その辺りも元帥は対応してくれて、いろいろと話を書いてくれたりしてたんでね。

DAISHI:ツアー中にメンバーが体調崩したりとかもしましたけど、やっぱり、元帥が亡くなられたことが一番大きかったですかね。ナレーションをやっていただいている声はまだ残ってるので、あと3本(※インタビューは3月上旬)を残している勇者物語をやり切りたいな、と思ってます。

──何と言っていいのか……一言でまとめるのも憚られるような、あまりに重い出来事でしたね。

Lida:元帥自身も、この『勇者物語』というものにすごく注いでくれてたんですよ。僕らを良く知っているし、そういうのをすべて落とし込んでくれた作品だったから。ツアーはまだ終わっていないので、まだまだそれをちゃんと遂行するまでは我々も気を抜けないです。


▲AYA (G)

──そんな姫路公演のライヴ音源も収めた、2年ぶりの新譜「アカツキ」を2021年11月にリリースしています。自分たちの世界を取り戻せ、と歌うパワフルな表題曲で。作詞作曲はLidaさんですが、どのような想いの中から生まれたんでしょうか?

Lida:曲自体ができたのはコロナ禍の本当に真っ只中の2020年終わりぐらいで。

seek:いろいろな活動に制限がある中で、その時期、バンドとしては「今こそ曲を書こうぜ!」となったんです。

Lida:それで、みんなで曲を持ち寄って溜めていたんですけども。8月の姫路公演直前、たしか1ヵ月前ぐらいになって、「姫路公演の最後に、来てくれたお客さんだけに聴いてもらいたい」ということで、急ピッチでレコーディングをすることになり。

seek:本来、姫路市文化センター大ホールというのは20周年プロジェクト最後の場所というのもあって、僕ら以上にファンの方もすごく楽しみにしてくれていたから。やっぱりそこがエンディングになる感がすごく強かったんですよ。僕ら自身もそういう気持ちでいたし、僕らにとって大切な20年間の曲をそのステージ上でやるというのは分かってるんですけど。そこで締め括ってしまうとなんか、終わりを迎えそうな気がして。

──集大成だけではなく、次への兆しを描きたかったんですね?

seek:“姫路市文化センター大ホールの最後にファンの方が聴くのは新曲であるべきだな”と、その時すごく思って。でも結構ギリギリに思っちゃったんですよね。もうリハをしていて残すところ2週間ぐらいで。7月末ぐらいだったですかね。

DAISHI:“なかなか渋いこと言い始めたな~”とは思いよった(笑)。ライヴの内容も盛りだくさんで、芝居もあるし、その中で“言うてきたな~”と思って。

Lida:その時点でまだワンコーラスしかなくて、本当にデモのデモだったので。でもseekが言ってることももっともやし、“次に繋がるものを提示してあげたほうがいいな”と思ったからこそ、レコーディングに踏み切ってるわけですけど。


──デモの時点でLidaさんの言葉が乗っていて、それがすごくポジティヴだったんですよね?

Lida:そうですね。サビから始まるワンコーラスだけのショートサイズだったんですけど。その一行が強く響いたんだと思うんですよ。誰かに対してでもありますけども、僕らの置かれている境遇であったり、僕個人が自分に対して思うことであったり。“自分が今、この境遇でどう思ってるんだろう?”という、内へ内へと進んでいく時期だったのでそういう曲調になったし、歌詞の世界もそういうものしか出てこなかったんですよね。だから、あまり他のことを細かく考えずに書いたし、ストレートな言葉しか出て来なくて。

──なるほど。

Lida:Psycho le Cémuはすごく昔からずっと夢というものについて言ってきたし、変な言い方をすると、それに縛られている部分があるんですけども。でも、それを絶対に離さない、無くさないようにしてきたし、その夢という意味合いが、世の中がこうなってしまったことで少し変わってしまっている部分もあったと思うし。ファンのみんなも、夢に対して以前とは違った受け止め方や見方になってしまったかもしれないし。そういうすべてのものに対して“今の夢って何なんだろう?”と考えていって。ライヴハウスでライヴして、そしてそれを生でみんなに楽しんで聴いてもらえる。その空間というのが、僕らがずっとやってきたことでもあったし。その場所の中には、残念ながら無くなってしまう場所もあったし。そういったことをすごく強く思ったからこそ、ああいう言葉になったんだと思うんですよね。

──たくさんのライヴハウスがコロナ禍で閉館を余儀なくされましたからね……。多くの候補曲の中から、皆さんで“この曲でいきたい”と決めたんでしょうか?

DAISHI:seekが言ったんじゃないの?

seek:すんません、なんか勝手に(笑)。全員それぞれ曲を書いてたからアルバムサイズ以上の曲数が集まっていて。いいなと思う曲もいっぱいあったんですけど、僕は「アカツキ」のワンフレーズを聴いた時から、“この曲が一番今、あの場所で、この状況下で聴くという意味で一番刺さるなぁ”という気持ちやったので、一択やったかな。姫路公演のラストで聴いていただいくだけではなく、そこで発表される次なるツアーのテーマ曲にしたいな、というのがあって。そういう意味でも間違いなく一番パワーのある曲だったし、ライヴで育てていけそうな、原石になる曲やなという予感はありましたね。

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