【インタビュー】小林克也×カマサミコング、輝き続ける日本の80年代ポップミュージックを今に伝える

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今や世代を超え、更には国を超え、その素晴らしき火を灯し続ける日本発シティポップ。その80年代のシティポップの名曲を、ギュッと詰め込んだのが、シリーズ第二弾となる『FM STATION 8090』だ。

◆撮り下ろし写真

数々の名曲がセレクトされた本作品をナビゲートするのは、波と風と空と太陽を感じる伝説のハワイアン・ラジオDJ カミサミコングと、『ベストヒット USA』でお馴染み、80年代から夜の音楽番組の顔であり、日本のラジオDJ界の重鎮である小林克也。

ラジオ番組のように紹介されていくミックスと、デイタイムとナイトタイム用にセレクトされた80年代のシティポップの数々は、音楽を真からこよなく愛し続けてきた2人のラジオDJにより、2023年にさらに輝きを増し我々の元に届く。80年代に青春を過ごしてきた人たちはもちろん、日本発のシティポップがこんなにいいものだと気づいている、若い世代の人たちや、世界の人たち……これはもう、感動しかない。

今回BARKSでは小林克也、カマサミコング、そして本作の企画・立案者であるDJ BLUEを招いて鼎談を行った。『FM STATION 8090』についてはもちろん、当時の思い出、80年代の音楽シーンなど、貴重なトークが繰り広げられた。

   ◆   ◆   ◆

◾️「僕がやっていたラジオ番組に、ハガキが届いたんですよ」(小林克也)
◾️「小林克也の番組を聴いて、彼のスタイルを気に入ったんだ」(カマサミコング)


DJ BLUE:シリーズ2作目となる今作『FM STATION 8090』は80年代のシティポップを中心に収録。ジャケットも前作同様 タイトルとなっている当時の人気FM誌「FM STATION」の表紙をイメージして鈴木英人氏によるイラストを採用、CDだけでなくカセットテープもリリースという、80年代の色々なカルチャーを詰め込んだ企画です。そして、それをナビゲートするのが、小林克也さんと、カマサミコングさんになります。ところでお2人の出会いはいつですか?

小林克也:1973年に僕が『オールナイトニッポン』という番組をやっていたんだけど、昔はハガキがとにかく大量にきたのよ。その中に、英語で書いてあるハガキが来ていて。名前はカマサミコング(以下、コング)という名前ではなかったですけど、コリア(韓国)から「番組を聴いているよ!」って。「ジョージ・ハリスンの曲をリクエストしたい」とも書いてあって、それを番組でかけたの。それが始まり。ぼくのラジオ番組のリスナーだったのよ。その後に雑誌のハワイ特集で、KIKI(ハワイ州のAMラジオ局)が紹介されてて、彼がKIKIのナンバーワンDJと書かれていて、「日本の小林克也を聴いて……」と言っているわけ。それじゃあと、ハワイへ行った時に電話をしたら、KIKIに出てくれって。それでゲストで出た時に初めて対面であったんだよね。それが1982年かな。


DJ BLUE:コングさんは、どこで初めて小林さんの番組を聴いたのですか?

カマサミコング:韓国にいた頃だよ。その時、僕はAFKN(American Forces Korea Network)というラジオ局で、夜の番組を担当していたんだ。AMラジオでスタジオが大きかったから、曲がかかっている間に他のスタジオへ行って、東京の番組を聴いていたんだ。それで小林克也の番組を知って、彼のスタイルを気に入ったんだよ。彼はいい声でいい音楽を紹介していたから「この男はすごくいい、気に入った!」ってね。リクエストのことは覚えているよ。ジョージ・ハリスンの「Wah-Wah」だった。

DJ BLUE:コングさんが韓国にいた1970年代といえば、まだベトナム戦争中の頃ですよね。

カマサミコング:そう。私は1971年に将兵されて、5年間軍で勤務していたうちの3年間韓国にいて、それで米軍の中にあったラジオ局AFKNで仕事していたんだよ。その時期に短い滞在だったけど日本を訪ねたこともある。


DJ BLUE:初めて克也さんに会った時の印象を覚えていますか?

カマサミコング:もちろん覚えているよ。ワンダフル・ジェントルマンで、私のアイドル的存在であって、彼からは凄くインスピレーションをもらった。彼のラジオ番組を聴いて「これこそラジオ番組のサウンドだ」と思い、軍での仕事が終わりハワイへ戻ってからもラジオ局で働きたいと思い、それでKKUAで働き始めたんだ。そこで彼のやり方を自分なりにやってみたくて、曲のイントロで自分の声をグルーヴに合わせて話し始めた。無作為に音楽に乗っかるDJではなく、自分が全体の制作サウンドの一部であるかのように聴かせたくて、グルーヴすることが目標だった。

DJ BLUE:今回の作品は80年代を青春期で育った人たちがターゲットでもありますが、その象徴なのが、私、DJ BLUEなんですね。80年代にコングさんはKIKIというラジオ局で、ハワイアンDJでありながら、角松敏生さんや、杉山清貴さんなどの僕らにとっての日本のシティポップをかけていらっしゃった。当時は、どのようにして彼らの存在を知ったのですか?


カマサミコング:当時の私のマネージャーであるニック加藤を通じて知ったんだよ。ニック加藤とは、当時「ニッコング」っていう会社をやっていたんだ。番組では、山下達郎の曲はすべてかけたかな。中でも「WIndy Lady」が好きだった。「Sparkle」は、オールタイムベストなジャパニーズ・ポップソングだと思う。他のラジオ局で、日本の曲をプレイしているところはなかったよ。KIKIだけだった。

DJ BLUE:「Sparkle」は、今もコングさんの番組のオープニングソングですよね。

カマサミコング:そう。今も私の番組のオープニングソングだよ。

◆インタビュー(2)へ
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