【対談】逹瑯(MUCC) × KIRITO、シンガー同士のただならぬシンパシー「激動する時代の中で、長年立ち続けていることには理由がある」

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■とにかく昔からKIRITOさんのイメージとして
■なにかに迷っている感じが全く想像できない──逹瑯


逹瑯:KIRITOさんの後輩ミュージシャンやサポートメンバーは、バンドやっている元気な若いヤツらが多いじゃないですか。そういった若手の音源とかも含めて、普段音楽をよく聴きますか?

KIRITO:ミュージシャンにしては、あまり聴かないほうだと思う。

逹瑯:俺もそうなんです。だとすると、アルバムを作るときのインスピレーションはどういうところから着想していくんですか?

KIRITO:作曲期間に入ったときは、ジャンルレスになんでも聴くようにしていて。そこでいいなと思ったものはガンガン深堀りしていくようにもしていますよね。そうやって膨大にインプットした中で、“自分のやり方で、こういう手法を編み出せるかな”って作っていく感じ。でも日常的に、好きで音楽をよく聴くってタイプではない。

逹瑯:KIRITOさんは、ずっと音楽をやってきているじゃないですか。KIRITOさんに勝手に抱いているこちら側のイメージとして、とにかく昔から、なにかに迷っている感じが全く想像できないんですよ。見せないようにして実は迷いもあったのか、それとも全く迷うことはないのか、どっちなのかなと思ってて。

KIRITO:自分の場合、PIERROTのときからバンドの形態を使いながら、自分というものを100%バンドに注いできたから。例えば5人編成のバンドなら、“この5人がいるからこそ出来上がる音や世界観だね”って、当然言われるだろうし、そう言われることも分かっていたけど。でも実のところ、どういう作り方をして、どんな比重であの世界観や作品ができてきたかと言うと、けっこうな偏り方で作ってきていたんですよ。PIERROTにしろ、Angeloにしろ、一貫してそういうやり方でやってきた。だからバンドをやっている間は、ソロ活動をやる必要性はほぼ感じなかったぐらいで。


▲KIRITO

──でも、PIERRO時代の2005年にキリト名義のソロを始めましたが?

KIRITO:PIERROTがまだあったり、Angeloを結成してからも平行してやっていた初期ソロ作品は正直、自分でも必要性をあまり感じられない中で、ソロはどうしようかなってところで、シンガーとして自分でギターも弾いてやってみようかなっていう。今やっているKIRITO名義のソロとはスタンスも考え方も全然違ったと思う。Angeloが終わってからの今のソロは、完全にPIERROTやAngeloからつながっている自分の100の軸が、継続される形になっているんで、迷いもないんです。

逹瑯:“制作に対して、どういう曲がいいのか”とか“自分の進む道を選ぶときに、どっちがいいのか迷うことないのか”って質問だったので、その答えでちょっと疑問は解消はされたんですけど。でも、音楽活動全般の質問も含んでいたので、それで思うこともあるんです。

──と言いますと?

逹瑯:若いときに、“バンドってカッコいいよね”ってところから始まったのがPIERROTだったと思うんですよ。そこにKIRITOさんの100%を詰め込んできたと。そのPIERROTがなくなったとき、KIRITOという音楽をやっていく意味で、次にバンドを組む必要はなかった気がするんですよ、KIRITOさんの考えを聞くと。でもPIERROTがなくなって、もう一回バンド=Angeloを組んだ経緯が逆に気になってくるというか。だってAngeloがなくなって、今は完全にソロをやっているわけですから。

KIRITO:それはね、当時自分が、バンドという形でやり切った感覚をまだ持てなかったから。PIERROTという形でガーッとやって継続させようとしていたものが、突然、様々な事情で2006年にやめざるを得なくなった。まだバンドとして到達していないところがあるという思いを持っていたから、新たにAngeloを組んで続けていこうと。そしてとことん突き詰めていった。Angeloが止まったときに新たなバンドを組まなかったのは、バンドという形では行き切ったなという感覚があったから。

逹瑯:やっぱりPIERROTの止まり方って突然だったので、ひとつの終わりとして綺麗にまとめられなかったということもあって、バンドをもう一回やりたくなったということですか?

KIRITO:そうですね。バンドじゃないと完成できないだろうなって感覚があった。

逹瑯:気持ちや感情や思いを強く持ってやってきているから、“今、どうすべきなんだ”ってのが先頭にあって動いているわけですか。それで迷ってない感じがするんでしょうね。


▲<Allen birthday presents KIRITO vs MUCC>2023年9月4日@東京・Zepp DiverCity

KIRITO:自分がなにをやりたいかって根本の部分は、バンドをやり始めたときから変わってないんですよ、今も。でも本来、バンドをやる人が十代のときに通ってきたこと……例えば、音楽をたくさん聴くとか楽器を始めるとか、そういう十代を僕は過ごしてこなかったんです。バンドを始めたのが19歳の手前ぐらいだったから。

逹瑯:バンドの多かったあの時代的には、始めるのは遅い年齢ですよね。

KIRITO:そう。僕はいわゆるロックキッズでもなかったし、なにかしらのジャンルにはまって、その延長でバンドをやろうって人間でもなかった。やり始めた動機は、メタルやロックンロールとかジャンルにはまってない人間でも、ツインギターという手法を用いれば、音をどんどん発明できるなと思ったから。そういう自信もあったから。そこに自分の歌と歌詞の世界観が加わることで、たぶん他の人が絶対にやらないものができると。そういう確信があったんですよ、PIERROTをやり始めたとき。

逹瑯:19歳っていうと、一般的に言えば、高校を卒業して、専門学校なのか大学なのか就職なのかっていう分岐点的な時期だと思うんですけど、まあ、オトナですよね。でもバンドとか、自分がどういう方向に行きたいのか目覚めるのは、15〜18歳ぐらいの3〜4年間だと思うんです。その年齢のとき、KIRITOさんはどういう道に進んでいこうって感じだったんですか?

KIRITO:十代はメチャクチャだったんで(笑)。

逹瑯:なんとなく想像つくんですけど…(笑)。

──KIRITO母の物真似で補足しますと、「ほんとにアンタはね〜、家出を繰り返してたのよ。それで大宮のね〜」という感じだったそうです(笑)。

KIRITO:(笑)。本当にそうだったから、あんまり先のことも考えてなかったし、突発的に死ぬんだろうなぐらいの価値観でしか生きてなかった。補足のとおり、埼玉の大宮が地元だったんだけど、その後、長野へ行ってリセットして、働きながら将来を考えたんですよ。学歴もないし、手に職もないけど、なにか自分で作っていきたいなと。物じゃなくて、エンタテイメント的なものを作っていって、それが仕事になったらいいなという感じで。ちょうどバンドも始めていたし。オリジナル曲も作っていく中で、自分の発想で他にないものさえ提示して商品棚に置ければ、需要はあるんじゃないかって希望も見え始めたんです、バンドを始めたことで。

逹瑯:今、バンドを始めて何年ですか?

KIRITO:二十歳前から始めたから、もう30年は過ぎてますね。

逹瑯:その間に、スランプみたいな壁が立ちはだかったことはないですか?

KIRITO:どうだろうな……環境の部分でいろいろ波はあったけど。でも、PIERROTがまだマイナーで全国を廻ってたときも、デビューして名前が知られたときも、それがAngeloになって、そして今はソロになっても、感覚は一緒なんです。その一緒の部分はなにかと言えば、とにかく、“そこまでこだわらなくていいじゃん”と言われるようなところも、若いうちから死ぬほどこだわって作品もライヴもやってきたところで。MUCCで言うならミヤ君に似ているかもしれない。周りからは“それで充分じゃん”と言われても、自分の中で納得いく深さまで掘らないと気がすまない。それをやらなきゃ意味がない。それに対して絶対に妥協できなかった。逆に言うと、それさえできてりゃ幸せってタイプで。今も昔もそれをきっちりやっているから平常心っていう。

逹瑯:そうなってくると、一緒にやる仲間によっても変わってきますよね? 自分が言ったことをその通りにやってくれるプロフェッショナルなメンバーがいいのか、それとも、一緒に化学変化を求めていくタイプがいいのか、どっちですか?

KIRITO:本来、バンドをやるのであれば、化学変化を期待しながら、一緒にうまく同居しながらやっていくのが正解なんですよ。そういう意味では、PIERROTは異質だったと思う。ブレーン(KIRITO)が中心になって、同時に、メンバーが相互作用や化学変化を起こすっていう。それが好きでバンドをやってきたのは確かです。要は、自分の書いた設計図の通りに、1ミリもズラさずにやってくれよ、ということでもなかったんですよ。

逹瑯:ちゃんとバンドミラクルを楽しみながらやっていたんですね。

KIRITO:もちろん。そのミラクルも実際に起こっていたから。ただ、Angeloをやり切ったことで、そっちの分野では行くところまで行ったという感覚を、初めて味わったんです。

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