【鼎談】locofrank × HAWAIIAN6 × dustbox、聖域に再集結「俺たちはバンドマンという人生を選んでいる」

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locofrank × HAWAIIAN6 × dustbox名義によるスプリットアルバム『THE ANTHEMS』が4月17日にリリースされた。この3バンドによるスプリットアルバムは2013年発表の『THE ANTHEMS』以来、約11年ぶり2作目。その間もメロディックパンクシーンを牽引し続けてきた三者だが、いずれもメンバーの交代劇や、ライブバンドにとって大きな打撃となったコロナ禍など、目の前に横たわる苦難を乗り越えながら自らの道を切り拓いてきた。

◆locofrank × HAWAIIAN6 × dustbox 画像 / 動画

このインタビューでも語られているとおり、ツーマンやイベント共演はあれど、11年のうちに3バンド集結によるライブ<ロコダスト6>開催は数えるほどしかない。なれ合うことなく、それぞれの場所で、それぞれのやり方で切磋琢磨してきた。そのうえでの再集結が、『THE LAST ANTHEMS』という作品だ。ちなみに、アルバムに冠された“LAST”は、“最後の”を表す形容詞だが、この言葉は“最後に残った” “とっておきの”という意味も持つ。

各バンド3曲ずつ計9曲の真っ新な書き下ろし楽曲たちは、それぞれの持つカラーを前面に押し出しながら、互いを意識しつつ制作されたという。その意味では、『THE LAST ANTHEMS』だから成し得た新境地の揃い踏みであり、“ロコダスト6”というスキームがシナジーをもたらした結果だと言っていい。この作品には結成25年を超えて変わらぬ本質も進化する現在もある。BARKSでは、改めて三者の関係性を深掘りするとともに、11年ぶりスプリットアルバム制作やツアー<THE LAST ANTHEMS TOUR>の予感について、てバンドシーンの現在について、HAWAIIAN6のHATANO (Dr)、dustboxのSUGA (Vo, G)、locofrankの木下正行(Vo, B)にじっくりと語ってもらった。


   ◆   ◆   ◆

■『THE ANTHEMS』を経て俺たちは
■仲良しこよし…とはならなくて(笑)


──3バンドが集結した3WAYスプリットアルバム『THE LAST ANTHEMS』が4月17日にリリースされました。その前に振り返りたいのが、2013年、3バンドによる『THE ANTHEMS』を発表したことでして。当時のBARKSインタビューでも聞いてますが、ここで改めて。ライブハウスシーンで対バンする間柄の3バンドで話が膨らんで、スプリットアルバムを作ることに?

HATANO:あの当時自分が思っていたことは、メロコアブームみたいなものが起きて、“ジャンル寄せ”のようなものが世の中的に強い時代になっていったってことで。その前の時代のライブって、どんなイベントでもノンジャンルだったんですよ。ところがある日、メロコアブームってものが起きて、ジャンルがどんどんそっちに寄って、バンドビジネスみたいなのが盛んになっていた。自分が思い描いていたバンドっていう社会と、かけ離れていった気がしていたんですよ。

木下:わかります。

HATANO:でも、流行りというのは、いつか温度が下がっていくものじゃないですか。結果、下がって、“逆に、今、寄せたらおもしれーじゃん”と思ったんですよね(笑)。で、スプリットアルバムを作ろうと。“作るなら3バンドか4バンドかな。3バンドのほうが絞り込んだものができるかな”って。当時、まずlocofrankに話をして。dustboxとは距離が近い間柄でもなかったんだけど、活動ぶりはお互いに知っていたし、ライブも何度か観に行ってて。“この3バンドの中にdustboxがいたら、いい意味の違和感があっておもしろいな”と。ただ、dustboxに話をしたとき、ふたつ返事で「いいですね」とは言われなかったけど。

SUGA:もちろんいい話だから、“やったー!”という感じではあったんですね。でも当時、この3バンドは同じメロコアシーンにいたけど、対バン相手とかがそれぞれ違ってたから、別のところでやっていたというか。


▲HATANO (Dr / HAWAIIAN6)

──最初にlocofrankに話を持っていったということは、HAWAIIAN6と対バンする機会もかなり多い関係性だったんですか?

木下:いやいや、うちらも全然ですね。

SUGA:locofrankとdustboxでたま〜に対バンやってましたけど、うちがHAWAIIAN6と対バンするようになったのって2010年ぐらい。たしか『starbow』(2010年11月発表)のリリースツアーからなんですよ。その後、HATANOさんからスプリットアルバムを作るって話を聞いた記憶はありますね。「今、この3バンドでやるのはおもしろくねーかー?」みたいな話を。でも、俺はいつも「やりましょう、OKです」ってすぐに返事をしないんです。ちゃんと他のメンバーに確認してからなんで(笑)。

HATANO:あの当時、誰もが予想できなかった組み合わせだったはずで。それがおもしろかったんだよね。

──同じシーンに属しながら、異種格闘技に近い感覚もお互いにあったんですか?

HATANO:そうですね。別に俺らは大きなバンドでもないんで、例えるなら、“ちびっこ相撲の豊島区チャンピオン”と“ちびっこ相撲の越谷チャンピオン”、あと“大阪ちびっこ相撲チャンピオン”とかね(笑)。でも、バンドとして尊敬できて、なおかつ自分の街にちゃんと根を張っているバンドとやりたかったんですよ。地元を背負ってて、その意地も持っている。それでいてメロディックという縛りでやりたかった。

SUGA:今となっては“仲のいいバンドが集まった”と思われるかもしれないけど、『THE ANTHEMS』を作った当時、実はそうではなかったですから。ライバル視しながら、お互いにライブ活動をしていたので、けっこうバチバチ感もあった(笑)。

HATANO:当時、それぞれがそれぞれのやり方でやっていたから、全てが被ってなかったんですよ。それぞれのバンドを観に来ていた客層も微妙に違っていたし、やっている会場も被ってなかった。いろいろずれていたのがおもしろかったし、想定外だからおもしろい。それを形にしてみたいなと思ったのが、2013年の『THE ANTHEMS』だった。


──その後、3バンド合同の全国ツアー<locofrank HAWAIIAN6 dustbox ZEPP TOUR 2013>も行いました。その経験によって意識改革に近いことも起こりました?

木下:意識改革をしなければって考えは持ってなかったんですけど、交わりそうで交わらない3バンドが集まったことが、自分的にもlocofrankにもすごく大きかったですね。思っていた以上に刺激が強かったから。HAWAIIAN6とdustboxのライブはもちろん前から観ていたし、背中も追ってきたバンドでしたけど、中に入って一緒に交わったときの化学反応が凄まじくて。自分たちにとって新たなハードルにもなったし、新たな情熱も抱いたんです。第一関門といったらおかしいですけど、バンドやってきて良かったなという扉をひとつ開けられたタイミングでした。ターニングポイントだったかと言われれば、そうかもしれない。

──同じアルバムに参加した2バンドのステージをダイレクトに味わったことは、通常の対バンとは感覚も違ったんですか?

木下:そうです。それに1枚のCDアルバムを全員で作ったわけで、他のバンドには見えない努力やしんどい部分もあったと思うんです。けど、出来上がったときの充実感というか。自分たちのアルバムを作るのとはまた別の、ひとつのでかい達成感があったんですよ。“おもしろいことがしたい”から始まったことが、結果、おもしろくなった。でもこれは必然ではなくて、みんなが本当に楽しいと思って、楽しんだからこそ、楽しく終われたと思うんです。ただ、そこから11年という月日が物語るように、『THE ANTHEMS』を経て俺たちは仲良しこよしに…とはならなくて(笑)。あれがあったからこそ、そこが新たなるスタートで、“絶対にコイツらに負けねえ”って活動を、各々ができたと思うんですよ、11年間。

──ずっとバチバチ感とギラギラ感じゃないですか(笑)。

HATANO:そう(笑)。Hi-STANDARDがメロコアというバンドシーンのカルチャーを作ったじゃないですか。あれを間近で見て憧れた世代が、俺たちなんですよね。憧れたときにはすでにカルチャーとして出来上がっていて。でも、俺たちは先人がやったことの続きをやりたかったわけじゃない。憧れているからこそ、“自分たちにしかないなにかを残せないのか”って、みんな必死だったと思うんですよ。そのときに、自分がパッと思い浮かんだのが、スプリット作品で。当時、複数のバンドが1枚のオムニバスを作るなんてことは、どんどんタブーになり始めていたんです。で、“みんなが避けるなら俺たちは行く”と。その感覚を理解してくれる人は少なかったんですけど、locofrankとdustboxは理解してくれた。しかもメロディックというジャンルの貴重な仲間でもある。流行りが過ぎ去っていく中、“それでも俺たちはこれが好きなんだ”っていう、やっぱり“ちびっこ相撲チャンピオン”たちなんですよ(笑)。

──マインド的に、バンド同士だけじゃなく、世の中の流れとも闘っているという。

HATANO:切り拓こうと常に思っているかどうかだよね。それが個々の活動にも表れていた。例えば、大きな会場でたくさんの人を呼ぶとか、たくさんの枚数のCDを売ることが“いい結果”だというんであれば、ビッグネームだけ集めりゃいいじゃないですか。でも、誰もがそれを挑戦だとは思わない。ただの安パイですよね。切り拓くってのは、リスクがあるからこそおもしろいんですよ。


▲SUGA (Vo, G / dustbox)

──『THE ANTHEMS』を発表してからの11年間には、メンバーチェンジや歩みを止めようかと思ったことなど、3バンドには様々な事も起こりました。それでも常に闘うマインドやその炎は消えなかったですか?

SUGA:だから続いているんです。炎みたいなのが消えてしまったら、止まっちゃいますから。それに、なんとなくやるっていうのもできないですね、ここまでくると。

HATANO:『THE ANTHEMS』を作ってから何年もの時間を経て、もう、燃やすものなんか残ってないんですよ、心の中に。バンドを始めた当時あった、よく分からない情熱とか、よく分からない自信とか、あんなものは今、欠片も残ってないんですよ(苦笑)。

SUGA&木下:ははははは!

──若さという最高の武器が結成当初はありますからね。

HATANO:そう。移動中の機材車に乗ってるだけでワクワクして。みんなで景色見ながら、しゃべりまくって次の街へ向かうとか。そんな楽しい移動なんて、今はない(笑)。今、燃やしているものって、自分の限られた人生とか残された時間であったり、家族を置き去りにしてでもツアーに行かせてもらっている意味とか。そういう別のやりがいが燃料になっていて。それが今はおもしろいんですよ。“責任”という言葉は合ってないと思うんですけど、それに近い。いろいろなものを背負ってやらせてもらっているんだっていう気持ちがあるんです。

SUGA:昔は本当に、根拠のない自信と夢と希望と、よく分かんねえ大きなものを持ちながら、すごい気持ちで動いてましたもんね、20代の頃は。

HATANO:あれが“ノリ”ってやつだろうね(笑)。

SUGA:そうそう、ノリですよね。責任とかも別になくて、楽しけりゃいいっていう。

HATANO:今は自分のバンドメンバーじゃない仲間もいるし、その仲間に対する思いも変わってきたし。“あっ…これって人生なんだよね”って、ちゃんと向き合えている。俺たちはバンドマンという人生を選んでいる。いろんな人に支えてもらいながら、それをやらせてもらえているって、やっと理解できたんです。

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