2001年3月8日、JUDY AND MARY、さくっと解散

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2001年3月8日
JUDY AND MARY、さくっと解散


最終日、東京ドーム。

素晴らしかった。ヴァイオリン×2、ヴィオラ×1、コントラバス×2編成のクマさん弦楽四重奏から始まって、アンコール後、水を打った静けさの中に響き渡ったYUKIの生声によるオーディエンスへの感謝の言葉に至るまで、駆けめぐるエネルギーと澄み渡る名曲の数々が、ドームをJAMカラーに染め上げた。褪せることのないJUDY AND MARYカラーに…。


今の時代、ちょっとした文化勲章ものなんじゃないかな


JUDY AND MARY
WARP TOUR

■2001.3.7 @ TOKYO DOME

1. Rainbow Devils Land
2. Brand New Wave Upper Ground
──MC──
3. LOLLIPOP
4. ひとつだけ
5. DAYDREAM
6. そばかす
7. 手紙をかくよ
8. アネモネの恋
9. RADIO
──MC──
10. あたしをみつけて
11. PEACE
12. ラッキープール
13. KYOTO
──MC──
14. カメレオンルミィ
15. The Great Escape
16. BIRTHDAY SONG
──MC──
17. ラブリーベイベー
18. LOLITA A-GO-GO
19. motto
──────
En1. くじら12号
En2. 夕暮れ


■2001.3.8 @ TOKYO DOME

1. Rainbow Devils Land
2. Brand New Wave Upper Ground
──MC──
3. LOLLIPOP
4. ひとつだけ
5. クラシック
6. そばかす
7. 小さな頃から
8. 風に吹かれて
9. RADIO
──MC──
10. あたしをみつけて
11. PEACE
12. ラッキープール
13. KYOTO
──MC──
14. カメレオンルミィ
15. The Great Escape
16. BIRTHDAY SONG
17. ミュージックファイター
──MC──
18. くじら12号
19. ラブリーベイベー
20. LOLITA A-GO-GO
21. motto
──────
EN. OVER DRIVE
今さら、JAMの素晴らしさを説いてまわったところで恥をかくだけであるし、JAMの作品から、ライヴから、その発言から、たくさんの“力”を浴び、勇気と喜びと幸せを体現してきたリスナー達にとって大切なのは、その想い出といつまでも色あせず身体に生き続ける強烈な衝動体験だよね。

そしてもちろん、未来永劫残りつづける名作達の存在と…。


YUKI
JUDY AND MARYは2001年3月8日に、その幕を閉じた。

かわいいピンクのクマがステージを徘徊しまくってキューティ♪とか、全22曲のおなかいっぱいメニューだったとか、YUKIの髪は7日は緑だったけど8日はピンク色だったとか…、ま、そんな細かいレポートは音楽専門誌にお任せしよう。

僕は、最後の2日間、東京ドームのうねりに身を委ねながら“ジュディマリって、なんて不思議なバンドなんだろ”と、ポカンとしていたクチだから(恥)。80の感動と60の寂しさと20の高揚感の狭間に揺れながら…。

バックを支える3人が、それぞれにプロ・プレイヤー/ミュージシャンとしてバックボーンを持って始めたバンドであることは周知であるけれど、おんちゃんのジャクスン・ジョーカー/プレゼンスや、コータのティーヴィ/十二単、TAKUYAのスカンクあたりを熟知しているリスナーはそう多くはいまい。


TAKUYA
そこにYUKIという触媒がサウンドの起爆剤となり、バンドマジックが起こったわけだけど、札幌でのおんちゃんとYUKIとの出会いを“運命的”という言葉で片付けるのもなんだか単純すぎる。

バックのメンバーの音楽性が化学反応的に絡み合ったところにYUKIが自由奔放に飛び回るなんて、誰が想像できたのだろう。

もちろんメンバーにはそれが最初から見えていたのだろうし、スタッフもそれを確信していたに違いない。でも、どうして?

…そうだね、“世を動かすムーブメントというのは、概して本能や直感から生まれるもの”という真理を、こうやってJAMは証明してしまうわけだね。

だって、イチゴ大福が“食べてみたらうまかった”ように、結局ものごとなんて机上では分からないことばかりだし、頭で組み立てたものなんてすぐに風化してしまうものばかりだもん。

東京ドームでのBOΦWY解散時の布袋寅泰氏の心中を自分に重ねてみたというTAKUYA、
JAM初ドームの苦い経験…その悔しさを胸に秘めながらステージに立ったYUKI、
総ての曲を最後の一瞬と噛み締めながら終焉を迎えたおんちゃん、
充分な余力と演り尽くした充足感をかみしめたコータ…。


恩田快人
10秒の壁を切った100m走のアスリートは、その瞬間に神を見るというけれど、エネルギーの充填したフルパワー状態で解散するという“ささやかなわがまま”と“最高の贅沢”を自らのはなむけとするのが、いかにもJAMらしくてほんとうに痛快だ。

JAMがJAMとして最もJAMらしく、そしてJAMのままに終焉を迎えるための唯一の手段が“絶頂での解散”なのだろうし、愛されながら“散る”最高のタイミングが多分このドームだったんだろう。

バンドなんて結成された瞬間に解散の宿命を背負うのだけど、結成された時点から“かっこよくてスマートでせつないけれど笑顔が浮かぶ理想的な解散の仕方”が遺伝子に刷り込まれている…そんな宿命のバンドなんてそん所そこらにはいやしない。最高の終焉へ向かってギアをトップに叩き込むなんて、カッコよすぎるじゃないか!


五十嵐公太
お世辞にも良いとはいえないドームの音響だけれど、メンバーのサウンドは確実に届いてきたし、YUKIのエネルギーは抜けるような声に乗ってドーム中を充満させてくれた。

無邪気でかわいくて、ぷくぷくした肉球に未知数の牙と爪を併せ持つ仔トラのような、そんなYUKIが発する声は、至近距離から肌に触れんばかりの大気をびんびん震わせて、老若男女、誰もがしびれたよ。耳に、肌に、心のひだにまで沁みたYUKIの声は、きっとYUKIが想像するより、ずっとずっとみんなの琴線を震わせていたね。

JAMは最後まで四人四様を崩さなかったから、ドームでのオーディエンスもそれは自然体で素直だった。

音楽との突然の出会いがドラスティックに人生を左右するって決して珍しいことではないけれど、生活に溶け込んだ音楽は、そろりそろりとその人の生活環境や人生観を揺り動かしていく。悲しい時に思いっきり染み入る曲を聴いて涙を吹っ切ってみたり、ハイな曲でテンションを上げて明日への活力を歌からもらったり…。

そんな気持ちの揺れ動きに悩まされながらも、いくつものやる気や希望を、目に見えぬ形で日本中に降り注ぎつづけたJUDY AND MARY。それを思うと、今の時代、ちょっとした文化勲章ものなんじゃないかなと思うのだけど、どうかな?

烏丸哲也@LAUNCH JAPAN

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