余り有る音楽への情熱と愛情…「活動再開物語」第一章:2000年~それぞれの時間~

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CURIO「活動再開物語」

活動再開物語:トップページ


第一章:2000年~それぞれの時間~

第二章:苦しみの果てに


第三章:存在理由


あとがき

余り有る音楽への情熱と愛情…「活動再開物語」
第一章:2000年~それぞれの時間~

涙が出そうになった。

ひとつのバンドが乗り越えた運命の過酷さと、起こした奇跡の逞しさに……。
CURIOの活動再開第一弾アルバム『raison d'etre』は、何の躊躇も疑問もなくそう感じられる作品である。

取材・文●川上きくえ

第一章:2000年~それぞれの時間~

New Album

raison d'etre

STLH-0002 2,000(tax in)
オフィシャルHPにて通信販売中!

M1:butterfly
M2:fish
M3:noah
M4:N-edge
M5:R.J.L.J.J.
M6:a living -without you-


衝撃的なニュースが世間に走ったのは、2000年4月、今から1年半前のことだった。ヴォーカリストであるNOBが起こした事件は、ファンや関係者を悲しませるのはもちろん、ましてや同じバンドのメンバーであるBRITAINとKASSAIには、人生を揺るがすくらいの失望感を与えた。

NOBがいなくなり、残された2人にできることは、いくつもの疑問を上げては消し、上げては消しをくり返すことだけだった。時にはそれが巨大な不安となって襲いかかり、急激に胸を締めつける。

CURIOを続けられるのか?
続けるべきなのか?
自分にとって音楽とは何か?
自分に何ができるのか……? 

考えれば考えるほどそれは無数に広がっていく。何にしろ、生きるために働かなければならない。わかっているのはそれだけだった。

BRITAINは不安を打ち消すようにひたすらドラムを叩き、サポートを探しているバンドに片っ端から参加した。ドラマーとして求められることで自分の存在感を客観視し、改めて音楽の重要性とも向かい合う日々。

「最初はやっぱり、どうやって食っていこう? ってことを考えましたね。で、まずはCURIOという枠を一旦外したところで、自分の本心みたいなものに気づこうと思って。これからCURIOを続けるにしても、逆に今はそれぞれのことをやったほうがええんちゃうかと思ったんです。そうじゃないと不安に押しつぶされそうでしたからね」(BRITAIN)

KASSAIは事務所の人間から、バンドとしての活動はできないけれど「一人で動いてみることも必要じゃないか?」と言われ、なるがままWebデザインに着手したり、BRITAIN同様にやはり他のバンドで音楽性を養った。それが後に、リスタートしたCURIOのCDジャケットなど露出面でここまで大きな成果をあげるとは、本人も思っていなかっただろう。

「そのときはすぐ他のバンドなんてできないし、どうしたらいいかもわからなかったんですよ。でも、じゃあ自分に何ができるかなと思ったときに、“これは勉強やな”と思って。新しい音楽の価値観にしてもバンドの進め方にしても、いいと思えるものだけ吸収しよう、と思ったんですよね」(KASSAI)

そして。時間とともに他の2人が己の生き甲斐や感情というものに対して素直さを取り戻し始めた頃、NOBだけはまだ暗闇の中に身を置いていた。暗く、冷たく、希望の欠片も見つからない後悔という心の闇。

「僕は当の本人やし……まず最初に思ったのは、やっぱり“もう音楽できひんな”ってことやった。迷惑かけた人間があまりにも多すぎて、申し訳なさすぎて、むしろ“もう音楽やったらあかんな”と思ったんです」(NOB)

その自己への嫌悪感は、想像を絶する苦しさだったに違いない。一番大切なものを失った悲しみは、人が普通に呼吸することすらままならない精神状態へ追い込んでいく。

「とりあえず元の場所へ戻ってきて、何をしようかと考えても、自分の選択肢の中に音楽はなかった。ただ、普通に生きるだけで精一杯やったから」(NOB)

そしてNOBは、とにかく人としての生活を始めるために、北海道へ渡った。いくらそれまでの日常と離れた土地とはいえ、自分らしい表情を取り戻すだけでも生半可ではない努力が必要だっただろう。けれどガソリンスタンドでのアルバイトで生計を立てる日々の中、誇りを持って働く人々の情熱と優しさは、NOBに人間としての心の機能を修正するヒントを与えてくれた。自分と、その歌に残された小さな可能性について考えるまでに。イベント出演で北海道を訪れたBRITAINと再会するまで、彼は“歌いたい”という気持ちすら直視しないようにしていたのだ。

「ブリさん(BRITAIN)との再会は大きかったね。そのステージを観て、単純にブリさんと音楽をやりたいと思ったんだよね。野外で、みんながテントとか張ってる場所でライヴを観ながら、俺らもバカ話とかして。……本当、あれは楽しかったな。音楽が鳴ってるという環境がすごく気持ちよくて。そこで、待ってる人たちのために俺ができることは何だろう? 自分の意志を伝えるためにはやっぱり音楽しかないんだって、そう思ったんだよね」(NOB)

大切にしたいもの。伝えたいこと。自分がやるべきとき。それに気付いたことで、ようやくNOBは本当の意味で自分と向かい合えたのだ。自分を許せたわけでは、なかったが。

「いや、今だって全然許してない。全然許してないし、だからこそ今回の歌詞もこんな感じなんやろうし。でも、だから余計に音楽に嘘をつけなくなったってことやねんな。その自分を許せない気持ちもみんなに対する愛情も含めて音楽を純粋にやることが、今の俺らにできることやと思うねん」(NOB)

「うん。結局NOBくんは、許せん自分も含めて歌うしかない人やから」(BRITAIN)

情けない姿だろうが、それが真実ならありのままを伝えたい。つまり歌うこと自体がNOBにとって最高の喜びであり、同時にそれは最大のつぐないになっているんじゃないだろうか。真剣に悔やみ、迷い、生きているという感覚を自分自身で納得するために。

しかし、メンバーの中にCURIOの復活を心から信じ、待ち望んでいる人が誰一人としていないことが不思議でもある。NOBがいなくなった時点で、残りの3人で活動を続行しようと思えばできたはずなのだが、なぜかスタジオに入ろうとさえ思わなかったのだ。

実はCURIOは、活動を休止する前から、バンド自体が問題を抱え、メンバーは精神的に煮詰まり崩壊寸前だったのだ。

-つづく-

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