回想:“The Day The Music Died(音楽が死んだ日)”

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'59年の2月3日、Buddy Holly、J.P. "The Big Bopper" Richardson、Ritchie Valensという人気上昇中の若きスターたちが、悲劇的な飛行機墜落事故によりその短い生涯を閉じた。43年前のこの運命の日は、“The Day The Music Died(音楽が死んだ日)”として永遠に記憶されることだろう。

Holly、Richardson、Valensは“Winter Dance Party”と名付けられた、全24公演のツアーの最中だった。アイオワ州クリアレイクのSurf Ballroomでのコンサート終了後、バスの寒さと混みあう車内に疲れ果てていたHollyと、彼のバンドCricketsのメンバーであるWaylon JenningsとTommy Allsupは、4人乗り飛行機をチャーターした。次の目的地に早く到着し、休養を取り、ステージ衣装のクリーニングを済ませることができるようにと考えてのことだった。ところが、離陸前に乗客の変更があった。Richardsonは体調が悪かったために、Jenningsに頼んで席を譲ってもらい、そしてValensは、Allsupに飛行機の座席を賭けたコインの裏表当て勝負を挑み、勝ったのだった。

21歳のRoger Petersonが操縦する軽飛行機Beechcraft Bonanzaは、一寸先も見えぬほどの猛吹雪の中、アイオワ州メイソンシティの飛行場を午前1時ごろ(米中部標準時)に離陸した。そして、その数分後に近くの畑に墜落し、乗っていた4人全員が死亡した。

'71年にシンガーソングライターのDon McLeanがこの日のことを曲にした。“American Pie”だ。“The Day The Music Died(音楽が死んだ日)”というフレーズと共に、この事故の記憶は永遠のものとなった。歌詞では、事故について次のように物語っている。“...February made me shiver/With every paper I'd deliver/Bad news on the doorstep/I couldn't take one more step/I can't remember if I cried/When I read about his widowed bride/But something touched me deep inside/The day the music died...(2月、僕はゾッとした/僕が配達するすべての新聞に/悪いニュースが玄関先に届けられる/もう1歩も動けなかった/僕は自分が泣いたのかどうかさえ覚えていない/彼の未亡人となった妻のニュースを読んだときに/だけど、なにかが僕の心の奥底に触れたんだ/音楽が死んだ日)”

McLeanは、10代の少年として墜落事故のニュースを耳にしたときのことを覚えているとLAUNCHに語った。当時、音楽アーティストは、現在のようにアメリカの生活や文化の大きな一部ではなかったという。

「ロックンロール・シンガーが一般大衆にとって、いかにちっぽけな存在だったかを思い出すことは難しくなってきている。彼らは子供たちにとっては重要だった。だけど、文化的には重要じゃなかったんだ。ノベルティだったんだよ。ノベルティのようにしか考えられていなかった。Elvisが最大のノベルティで、他の人たちは各種の小さなノベルティだったんだ」

Sue Falco, New York LAUNCH.com
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