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90年代初頭のMTVの成功により、ポップミュージックの世界は、音楽性のみならず、見た目の華やかさを頼りにするアーティストが大豊作となったが、恐らくはその誰もが、Paula Abdulほど足場を固めてはいなかったのではないだろうか。派手な動きと計算されたポップな楽曲という組み合わせが、P.M.(すなわちポストMadonnna)時代のチャートを争う踊る歌姫集団のトップへと、やにわに彼女を押し上げた。

'62年、ロサンゼルスに生まれた彼女が、エンターテインメントの世界に足を踏み入れたのは、まずLAレイカーズのチアリーダーとして、そして後に、Janet JacksonからZZ Topまで、幅広いアーティストの振付け師としてだった。

'88年のデビュー作、『Forever Your Girl』を皮切りに、ヒット曲と人気ビデオを続々と送り出し、“Straight Up”を始め、No.1シングルも数多い。次作となった''91年の『Spellbound』は、Ivan NevilleやStevie Wonderのゲスト参加を得て、PrinceからJohn Hiattまで、多彩なアーティストの楽曲を取り挙げたマルチプラチナム・アルバムで、ヒット曲は更に数を増した。

しかし、『Spellbound』のリリース後の彼女は、スポットライトから退いた身を、ストレスからくる過食症、夫だった俳優Emilio Estevezとの離別、“Forever You Girl”でリードヴォーカルをとったのは自分だと主張するバックシンガーからの訴訟など、個人的な悩みとの闘いにやつすようになる。

ファンクや、果てはジャズさえ匂わせて、音楽性の幅を広げようと試みた''95年の『Head Over Heels』は、ファンからも評論家からも反応が芳しくなかった。

私生活の危機は乗り越えたようだが、ダンスポップという出生を超えて、音楽の趣向も気まぐれなこの''90年代に彼女が生き残っていけるかどうか、それはまだわからない。