ニュース・最新情報

プロフィール・バイオグラフィ・リンク

68年、ジョージア州メイコンで結成されたAllman Brothers Bandは、自ら新たなジャンルを創設したのみならず、今日までそのジャンル全体を定義する存在であり続けているという希有なバンドである。Duane Allmanの滑らかで刺激的なギターと、彼の弟Greggのソウルフルな、アメリカ南部特有の引きずるような歌を中心に据えたこの6人組は、ソウルやブルース、ロック、カントリー、それに少しばかりのジャズといった要素をブレンドし、ツイン・ギターと、あてどなく続く長い長いインプロヴィゼーションを特徴とする独特のスタイルを編み出した。さらに、Allman Brothers BandはPhil Waldenの創設したCapricornの旗頭として、Charlie Daniels 、Marshall Tucker、Lynyrd Skynyrdといった世代のサザンロック・バンドが登場する素地を作り、Grateful Deadとならんで、ツイン・ドラムをフィーチュアした最初のバンドともなっている。

『The Allman Brothers』と『Idlewild South』という2枚の歴史的(…とはいえ売り上げはそこそこ)なアルバムと、南部を回る長いツアーの後、Allman Brothers Bandは彼らの代表作となる2枚組ライヴ・アルバム『At Fillmore East』をレコーディング。しかし、このアルバムのリリースから3ヶ月も経たない'71年10月29日、アメリカ最高のロックンロール・バンドとして崇められるようになったまさにその時に、Duaneはバイク事故でこの世を去った。

ロックンロールの古典のような物語はさらに続く。Duaneの亡くなる前に録音された3曲と、Fillmoreでの新たなコンサートの模様を収録した2枚組アルバム『Eat A Peach』が、'72年の初頭にリリースされると、今度はベーシストのBerry Oakleyが、同じくバイク事故で命を落とす。Duaneの事故現場からわずか3ブロック離れた場所でのことだった。

この事故の後リリースされたアルバム『Brothers And Sisters』は、“Ramblin' Man”という爽やかなシングルのおかげで、バンドにとって最大の売り上げを記録した。この曲はセカンド・ギタリストのDickey Bettsが書き、自ら歌ったもので、レイドバックしたカントリーのような感覚があったが、Duaneの冒険的なプレイが持つエッヂには欠けていた(実はAllman Brothers Band結成以前も、結成後も、DuaneはRick HallのFame Studioに所属するセッション・ギタリストとして、Wilson Pickett、Aretha Franklin、Boz Scaggsといった人々のアルバムでプレイしているし、Eric Claptonの名声を決定づける作品となったギターの祭典のごときアルバム『Layla』にも参加している)。


とはいえ、このアルバムは大勢の人々をコンサートに呼び集めるきっかけとなり、'70年代を通じてバンドが展開した、大仰なわりに刺激の少ない音楽路線はここから始まったと言えるだろう。実際に'73年、有名なWatkins Glenのコンサートでは、AllmansとGrateful Dead(今となってはこの2つのバンドにはに通った共通項が多い)、そしてThe Bandの3バンドが、60万人の観客の前でプレイしている。

しかし、'80年代に入ってからのリリースは、Betts(GreatSouthern)やGreggのソロ・プロジェクトのように、バンド以外のものがほとんどだった。Greggは、個人的なツアー・マネージャーだったScooter Herringに対して不利な証言をし(結局Herringは麻薬密売で懲役75年の判決を受けている)、Sherと結婚(…そして離婚)したことで、一気に悪名を高めた。

が、'88年、ドラマーのButch Trucksと共に、Greggはセントラル・パークで行われたDickey Betts And Great Southernのステージに飛び入り参加。Allman Brothers Bandの再結成が一気に実現した。当初はギタリストのDan TolerとベーシストのRook Goldfliesを加えたラインナップだったが、その後ギタリストとしてWarren Haynesが加わり、ツアーを続けながら熟年の内容が練り込まれた作品をリリースし続けている。