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Deee-Liteのサンプリングを駆使したサウンドは、インターナショナルなDJカルチャーをアンダーグラウンドの世界から''90年代のポップ・シーンへと引き上げるのに貢献した。彼らがブレンドしたのは、ダンスビートと人形のように無表情なディスコ歌姫のヴォーカル、そして元James Brown/P-FunkのスターBootsy CollinsとMaceo ParkerとFred Wesleyのライヴ演奏(彼らの''90年の爽快なヒット“Groove Is In The Heart”に最も顕著に見られる)だった。

ファッションを学ぶ学生だったLady Miss Kier(オハイオ州ヤングスタウン生まれのKier Kirby)とSuper DJ Dimitry(ウクライナ生まれのDmitry Brill)は''86年、ニューヨークでDeee-Liteの名前で団結し、1年後にJungle DJ Towa Towa(東京生まれの鄭東和)が加わった。驚異的なシングルのポップチャートでの成功に引っ張られたとはいえ、1stアルバムの『World Clique』は徹底的にグルーヴィな作品で、アップタウンのダンサブルさ(“Good Beat”)とダウンタウンのひょうきんさ(“What Is Love”)のちょうど中間に位置していた。このトリオのサイケデリアとキッチュが半々の際立ったビジュアル・アピールの貢献度も計り知れない。

テクノ、アンビエント、ハウス、ラップ、そしてファンクというジャンルをさらに広げたDeee-Liteの次のアルバム、''92年のInfinity Withinは政治的メッセージを取り上げた。“I Had A Dream I Was Falling Through A Hole In The Ozone Layer”が典型的な楽曲だが、アルバムはヒットにはつながらなかった。東和の代わりにDJ Aniを入れたが、3rdアルバムの『Dew Drops In The Garden』も同様の運命だった。''95年、東和はソロ・アルバム『Future Listening!』をリリースし、ボサノバとジャズ、エレクトロニカ、坂本龍一、奇妙なノイズ、そして無数のサンプルをミックスにした。