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アメリカのオハイオ州アクロンにてマーク(ヴォーカル)とジェリー(ベース、ヴォーカル)によって73年に結成。

当時主流だったAOR系のサウンドを嫌ったディーヴォは、DE-EVOLUTION(退化)を主張し自らをDEVOと名乗った。膨大なデモ・テープや映像作品を制作する傍ら、洗濯機をステージに持ち込むなどアヴァンギャルドなギグをアメリカ各地で精力的にこなし、いつしか「メジャー・デビューしていない一番有名なバンド」の称号を得ることになる。メンバーは、マーク、ジェリーのほかに、ボブ1号、ボブ2号、そして何度かメンバー・チェンジを繰り返しているドラマーで構成されている。

78年2月英スティッフから「ジョコー・ホモ/モンゴロイド」でデビュー。間髪いれずに米ワーナーと(ヨーロッパ圏はヴァージン)と契約を結び、同年9月にはブライアン・イーノのプロデュースによるデビュー・アルバム『頽廃的美学論』を発売。折からのニュー・ウェイヴの機運に乗り、特にヨーロッパや日本で高い評価を得た。翌79年にはセカンド・アルバム『生存学未来編』を発売。そして5月末に初来日。ニュー・ウェイヴ系アーティストとしては初の日本武道館公演行い、大成功を納める。来日時には数多くのTV出演(「ぎんざNOW」など)、CF出演(パルコ)、さらに東京12チャンネル(現、テレビ東京)の「ステレオ音楽館」では1週間にわたり武道館ライヴの模様が放送され、日本中にディーヴォ旋風を起こした。翌80年にはアルバム『欲望心理学』を発売。ワールド・ツアーのスタート地に日本を選び、再来日公演果たす。同アルバムはアメリカで大ヒットし、収録曲「欲望の原理」、「ホイップ・イット」は全米チャートトップ10に食い込む大ヒットとなった。

その後も『ニュー・トラディショナリスツ』(81年)、『オーノー!ディーヴォ』(82年)、『シャウト』(84年)、をワーナー・ブラザーズよりリリース。その後はレーべルを移籍して『トータル・ディーヴォ』(88年)、『スムース・ヌードル・マップス』(90年)と、コンスタントにアルバムを発売してきたディーヴォだが、90年に所属レコード会社「エニグマ・レコード」の倒産と、バンド活動に疑問を感じたディーヴォは長期活動休止状態になる。 メンバーのマーク、ボブ1号、ボブ2号の3人は音楽制作会社「MUTATO MUZIKA」を設立。映画音楽(『フォールームス』、『サウス・パーク』、『ラグラッツ』など)を中心にTVコマーシャルやドラマ音楽などを数多く手がける。またジェリーはビデオ・ディレクターとして矢野顕子やブラマンジュなどのPVを監督した。

いまもなお、いくつかのサントラに新曲を提供し、ロック・フェスティヴァルなどで演奏活動を行うなど、息の長い活動を行っている現役アーティストである。2003年には23年ぶりの来日公演を果たし話題となった。

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