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後にStarshipの愚にもつかない音楽で名誉を汚されるにしても、''60年代後半のJefferson Airplaneは、サンフランシスコで花開いたアシッドポップの巨人として、サイケデリックの影響をロック界のすみずみにまで行き渡らせた。激情的な多声ヴォーカルとワイルドなサウンドで、感覚を刺激する新しいロックをつくりだした彼らは、「波長を合わせろ、ドロップアウトしろ」がスローガンになっていた時代を体現するバンドだった。

Jefferson Airplaneは、ロックテノールのMartin Balin、激しいラーガ・ロックを得意とするギタリストJorma Kaukonen、血気盛んなベーシストJack Cassady、12弦のリズム・ギタリストPaul Kantnerらによって、''65年に結成された。BalinとSigne Andersonのツイン・ヴォーカルが際立つフォーク・ロック調のデビュー・アルバム『Takes Off』を発表後、脱退してMoby Grapeに参加したSkip Spenceに代わってSpencer Drydenがドラマーとなり、Andersonが辞めてGrace Slickが加入する。

新メンバーで録音した''67年の『Surrealistic Pillow』からは、Slickの“White Rabbit”と“Somebody To Love”がヒット。実験的な次作『After Bathing At Baxter''s』は、フリー・ジャズばりの演奏が展開されるトリップアウトした作品だった。アートとポップが同居する図式は、『Crown Of Creation』とライヴアルバム『Bless Its Pointed Little Head』でいっそう鮮明になる。最高作となった''69年の『Volunteers』は、バンドの意図がもっともよく表現されたプロテスト・ソング集である。

Airplaneはその後、3枚の平凡なアルバムを作って''74年に解散。メンバーはすでに外部での活動を開始していた。SlickとKantnerは、時にBalinを加えたラインナップで、Jefferson Starshipとしてメロウなアシッド・トリップにいそしみ、KaukonenとCassadyはブルース・ジャムのユニットHot Tuneを始動。“Jefferson”を省略してStarshipと名乗るようになったバンドは、度重なるメンバー・チェンジに耐えきれず、ロック界きっての厄介者になり果てる。''66年当時のオリジナルAirplaneの面々(Drydenを除く)は、''89年夏に再結集してツアーを行ない、アルバム(あまり褒められたものではない)を出した。15年前に消滅すべきだったStarshipは、''90年になってようやく解散した。