ニュース・最新情報

プロフィール・バイオグラフィ・リンク

Notorious B.I.G.(別名Biggie Smalls)は、威嚇するような歌詞とハードな語り口でみるみるヒップポップ界を席巻し、もっともリスペクトされるラッパーの1人になったのもつかのま、''97年3月9日、カリフォルニア州ロサンゼルスで運命の凶弾に倒れた。

デビューアルバム『Ready To Die』を大ヒットさせ、すでにヒップポップ・コミュニティでは知らぬ者のない名士だった彼は、次作『Life After Death』でポップ界のスーパースターダムに上り詰めようとしていた。Lil'' Kim、Junior M.A.F.I.A.、Faith Evansといった他のアーティストにも道を開き、彼らを成功へと導いたことで、Biggieは若いながらも多くの人々から父親のように慕われ、ヒットシングルのタイトル通り“Big Poppa”と呼ばれた。

本名Christopher Wallace、ニューヨークのブルックリン出身。Notorious B.I.G.が評判になったのは、Big Kane Daddy一派のMister Ceeから彼のデモテープを手に入れたThe Source誌が“Unsigned Hype”というコラムで彼を紹介したのがきっかけだった。このときの曲が同誌の''92年度コンピレーションアルバムに収録されてまもなく、テープを聞いたラップ界の大物Sean“Puffy”Combs(別名Puff Daddy)が、Biggieを自らの新レーベルBad Boy(ディストリビューションはUptown)と契約させる。

B.I.G.はMary J. Bligeの“Real Love”のリミックスヴァージョンをはじめ、Super Cat、Da Brat、Craig Mack、Red Hot Lover Tone、Eddie F & the Untouchablesらの曲に次々と参加。また、アンダーグラウンドシングル“Dreams”をリリースしたほか、“Party And Bullshit”が『Who''s The Man』のサントラ盤に収録された。

そして''94年秋、ついに待望のアルバム『Ready To Die』を発表。このアルバムはたちまち話題になり、“Juicy”と“Big Poppa”がスマッシュヒットとなる。マフィア流のストリートヴァイオレンスをテーマにした写実的なストーリーと、愛する者への情熱的な誓いをブレンドした歌詞は、ウェストコーストのライバルTupac Shakurと比較された。

めきめきと頭角を現したB.I.G.は、弟分のグループJunior M.A.F.I.A.をデビューさせ、R&Bの女性シンガーでガールフレンドでもあるFaith EvansやLil'' Kimの手引きをし、TotalやR. Kelly、Michael Jacksonとも共演した。その一方で彼は''95年5月、ニュージャージーのクラブオーナー強盗事件にたまたまかかわり合ったことで逮捕され、非難の矢面に立たされる。1年後にはニューヨークで襲撃容疑、ブルックリンではマリファナ所持で逮捕。同じ年のうちに、今度はニュージャージーでJunior M.A.F.I.A.と一緒に、銃器とマリファナの所持でまた逮捕。

さらに、常にマスコミをにぎわすこのラップスターは、Faith Evansとデキているという噂をめぐって、ウェストコーストの伝説Tupac Shakurと火花を散らし、各誌で悪口雑言の泥仕合を演じて、Shakurの死にかかわっているのではないかとまで囁かれた。

いつまでたっても様々な憶測が流れ、批判がいっこうに静まらない中で、B.I.G.は皮肉にも『Ready To Die』と題された2ndアルバムを、ようやくリリースしようとしていた。彼がカリフォルニア州ロサンゼルスで、『Soul Train』の打ち上げパーティーに集まった客の前で銃撃されたのは、その矢先だった。享年24歳。

Tupac Shakur同様、早すぎたNotorious B.I.G.の死は、将来もヒップホップに暗い影を投げかけることだろう。しかし、ラップミュージックに大きな影響を及ぼしたBiggie Smallsの功績が忘れられることはない。

彼は私財をはたいて幾多の才能を世に送り出し、有名にした。音楽で暴力や怒りを表現したのとは裏腹に、素顔はひょうきんで思いやりのある男だったという。いつでも批判を受けて立ったNotorious B.I.G.は、まさに“名うての”人物だった。