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Bud Powellはビーバップというジャンルを確立し、キーボード奏者達にビーバップの定義付けをした元祖ビーバップ・ピアニストである。彼はそれまでのコード中心のストライド・アプローチからピアノを解放し、連続した直線的な右手のフレーズを器用に、そしてイマジネーション豊かに展開した。しかしながら、彼は典型的な“苦しみを背負ったアーティスト”でもあった。

''24年にニューヨークで生まれたBud Powellは、''43年から''44年までCootie Williamsのビッグ・バンドで演奏した後、Dizzy GillespieやDon Byasらが率いる小規模なグループで活動した。このバップが根付けるかどうかという時代の、主要人物としての活動がまさにこの時期となる。しかしPowellは、''40年代半ばのある時期に1回目の神経衰弱にかかり、その後も一生その風変わりな性格であり続けてしまう。にも関わらず、不思議というべきか当然と言うべきか、彼の作品からは、鋭い知性と束縛されないが抑制の効いた創造力豊かな才能が随所に窺える。“Tempus Fugit”“Dance of The Infidels”、そして彼の病気をほのめかすようなタイトルのついた“Un Poco Loco”“Hallucinations”“Glass Window”といった多くの作品は、今やビーバップのクラシックである。

''51年にショック療法を受けた後でさえ、Powellは素晴らしいレコードを作り続け、有名な『Jazz At Massey Hall』(''53年。Original Jazz Classicsより)ではCharlie Parkerと共演した。また、''49年から''58年まで続いたBlue Noteでの数々のレコーディングは、驚くほどの一貫性を保ち、溢れ出るアイデアに流されそうに見受けられた後半のものでさえ、かつての才能の片鱗がふんだんに散りばめられている。

Powellは''59年にパリに渡ったものの、しばらくは入院を余儀なくされる。''64年にニューヨークに戻った彼は、既に時代の先駆者として伝説上の人物であったが、もはやミュージシャンとして活動する事は出来なかった。そして''66年、彼は41歳の若さでこの世を去ることになる。