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80年代のUKソウルボーイズの中でも、Simply RedのMick Hucknallは遅れてスタートしたが、結局のところ最も一貫したキャリアを築いている。その理由のひとつは、彼の声が彼の豊かな赤毛(バンド名の由来となった)と同様に独特だからであり、もうひとつは、彼が多くの仲間とは違って、年とともにソングライターとして成長したからだ。

彼は昨今あまり噂にのぼらなくなったが(彼はかつて、安全なセックスの時代にコンドームは全く嫌いだと発言して大騒ぎになった)、彼の率直さと自身の能力に対する寛大な評価は今でも恰好のネタになっている。

'60年にデントン(マンチェスター近郊)で生まれたHucknallは、最初Frantic Elevatorsというパンクバンドのヴォーカルだったがパッとしなかった。'84年にソウルに転向して結成した初期Simply Redには、長年の曲作りのパートナーでキーボーディストのFritz McIntyreがいた。

グループの最初のヒットは'85年で、The Valentine Brothersの“Money$ Too Tight To Mention”の時代遅れの白人カヴァーだった。しかし、'86年に“Holding Back The Years”を再発し、Simply Redはイギリスでも海外でも絶賛された。このジャジーなバラードはアメリカでナンバーワンになり、アルバム『Picture Book』もヒットしたが、次の'87年のアルバム『Men And Women』は当たらなかった。

'89年にはHarold Melvinand the Blue Notesの“If You Don't Know Me By Now”のカヴァーで、チャートの頂点に返り咲いた。その時のアルバム『A New Flame』もHucknallのそれまでで最高のオリジナル楽曲を際立たせたが、さらに出来の良い『Stars』は、'91年に世界的な大ヒットとなり、新しいラインナップをしっかり掌握したHucknallと洗練されたファンキーなサウンドをアピールした。 しかしながら、『Stars』はアメリカでは受け入れられなかった。'95年の『Life』は、R&B全盛のポップチャートにちょうど歩調を合わせるような、より複雑でレイドバックした作品であったが、やはり不可解にも、アメリカでは成功しなかった。とはいえ、Hucknallの当然とも言えるヨーロッパでの大成功と、George MichaelやBoy Georgeら仲間の低迷により、彼は縮小し続けているこのジャンルの先頭に立っている。

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