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音楽業界の重役として成功を収めた上に、アーティストの世界に飛び込んでさらに大きな成功を収めた、恐らくは初めての人物だろう。Sean "Puffy" Combs、またの名をPuff Daddyは、裏方としてBad Boy Entertainmentに生かしてきたのと同じ先見の明と辣腕をもって、'97年、ラップ界の有力MCとして頭角を現した。彼が築いた音楽は上手に選んだサンプルだけが頼りのトランプ製の家でしかない、という批判が影を落とす中、Puff Daddyは友人であり同僚だったNotorious B.I.G.の死という悲劇を、チャートのトップを飾るシングルに仕立て上げ、全米を魅了した。

'71年、ハーレムに生まれたCombsは、いわゆる卑しいストリートではなくニューヨーク郊外のマウントヴァーノンで育ち、ハイスクールはブロンクスのカトリック系の男子校に通った。ハワード大学では経営学を専攻し、ヒップホップのダンスパーティを毎週末に開催したり、帰省する仲間の学生のために空港までの送迎シャトルバスを運行したりと、既に商売の手腕を発揮していた(ということは、もしもヒップホップの道を追及していなければ、Puff Daddyは今頃、空港送迎バスの王者として、Sean "Huffy" Combsなどと呼ばれていたのかもしれない)。

Uptown Recordsでの実習中に、Puffは大学を中退し、そのまま同社のディレクターとして、Mary J. BligeやJodeciのキャリア指南に力を貸すようになる。自身のBad Boy Entertainmentを立ち上げてからは、あっという間に業界で最もホットなプロデューサーに数えられるようになり、Mariah Carey、New Edition、Method Man、Babyface、TLC、Boyz II Men、SWV、Aretha Franklin、そして誰よりも頻繁にコラボレーションしていたNotorious B.I.G.(別名、Biggie Smalls)といったアーティストたちにヒット曲を提供していった。

'97年の初めにSmallsが殺されたことに触発されて、Puffyは自らのリードラッパーとしての(B.I.G.等のアルバムにゲスト参加したことはあった)デビューシングル“I'll Be Missing You”を思いつく。Policeの“Every Breath You Take”をベーシックトラックに、Puffyのラップをフィーチャーし、Faith Evansや112のヴォーカルを加えたものだ。

殺害されたSmallsへの追悼歌は、ビルボード誌のシングルチャートで6週連続のトップとなり、Puffyのアルバム『No Way Out』をプラチナムセールスにまで押し上げた。延々ひとつのサンプルを繰り返しているだけだと咎める批評家もいたが、Puffy本人からして、自分のスキルは、全体的なサウンド作りに比べてラップにおいては劣るのだということを認めているのだ。「俺はMCじゃなくて…」と彼。「ヴァイブを与える人間だから」

Puff Daddyはごく短期間のうちにヒップホップの頂点へと上り詰めたが、どんなプロデューサーもアーティストも王座を長くは守れずにいるこのジャンルにおいて(Dr.Dreよ、まだそこにいるのかい?)、彼が持久力を見せられるかどうか、それは時が過ぎてみなければわからない。ただし目下のところ、Sean "Puffy" Combs以上に人気のあるヒップホップスターは現れていないようだ。