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カーラ・ブルーニは、イタリアのトリノ出身。1968年12月23日生まれ。元スーパー・モデルとして知られる彼女だが、その経歴は実に華やかで、さながら現代のおとぎ話だ。イタリアの名門貴族に生まれ、祖父はイタリア有名タイヤ・メーカー、ピレッリの創業者であり、父はクラシックの作曲家兼劇場経営者、母はピアニストというブルジョワ家庭に育った。姉、ヴァレリア・ブルーニ・テデスキもフランスを代表する女優、監督として有名。幼少時は古城で育ったというから、まるでヴィスコンティの世界である。5歳でフランスに移り住むが、スイスのフィニッシング・スクールを卒業し、大学で美術・建築を専攻。そんな10代の終わり、兄の友人であるジーンズ・メーカー、GUESS?のオーナーにモデルになることを強く薦められ、モデル・エージェンシーと契約。長身で知的な風貌が愛され、たちまちトップに登りつめた。時は90年代。リンダ・エヴァンジェリスタ、ナオミ・キャンベル、シンディ・クロフォード、クローディア・シファー等のいわゆるスーパー・モデルたちが隆盛を極めていた頃、カーラも彼女たちと肩を並べ、シャネル、ディオール、プラダ等の有名メゾンのランウェイを闊歩し、ヴォーグ、マダム・フィガロ、エルなどの表紙、グラビアを飾った。しかし、モデルの職業が「魂を捧げるべきような仕事ではない」と感じた彼女は、ジャン・ポール・ゴルチエやディオールなど、クリエイティヴな面で共感できる仕事に活動を絞る。

しかし、モデルとして世界中を飛行機で飛び回る日々の、限られた自由な時間は、常に音楽とともにあり、その情熱は並々ならぬものだった。もともと音楽家の家庭で育ち、ピアノやヴァイオリン、ギター等を習い、子供の頃から日常的に詩を書き、10代の頃はリッキー・リー・ジョーンズ、ローリング・ストーンズ、セルジュ・ゲンズブール、ドリー・パートン等を好んで聴いていたそうだ。20代半ばからはモデルとして活躍する間も、ファッション・ショーのバックステージではギターを爪弾き、音楽に親しんでいたという。

ミック・ジャガーやエリック・クラプトンなどとの親密な交友で、メディアを賑わしていたのもこの頃だが、そういったことはミュージシャンへの転向には全く関係していないし、強力を仰いだりもしなかったそうだ。

97年、モデル業を引退すると、カーラ・ブルーニは好きだった音楽の道に自然と歩みを進める。デビューのきっかけは2000年。フランスの大スター、ジュリアン・クレールの2000年のアルバムに歌詞(6曲)を提供したことだった。そこで実力が認められたカーラは、ナイーヴ・レコードとアルバム契約を果たす。古くからの友人で、人気バンド、テレフォーヌの元メンバー、ルイ・ベルティニャックに協力を仰ぎ、宅録のスタイルでレコーディングした『ケルカン・マ・ディ』を2004年にリリース。フランスのポップ・ミュージックの伝統に乗っ取り、ヴォーカルを前面に出したミキシングが施された。静かな雰囲気、分かりやすいメロディ、自分自身が感じたことを綴った歌詞といういたってシンプルな作りの作品だが、素朴でフォーキーなカーラの耳元に囁きかけるようなヴォーカルは、実に魔力的で、この瞬く間に人々を魅了し、商業的な作品ではないにも関わらず、現在までに世界で200万枚以上(フランスで120万枚、それ以外の地域で80万枚)のセールスを記録している。これほどアート性、ファッション性、音楽性が三位一体となった作品は、他に類を見ない。

セカンド・アルバムにあたる『No Promises』は、前作とは少し赴きの異なる作品。全曲英語で歌われているのだ。歌詞は、オーデン、イエイツ、クリスティナ・ロセッティ、エミリー・ディキンソン等、英米の詩人の作品の引用句。偉人たちの詩を現代風に解釈し、音楽を付けるというのは、なかなか勇気のいることだったようだ。が、これらの詩の持つ感傷、孤高、ロマンティシズムといった雰囲気は、カーラ・ブルーニの音楽と自然に溶け合い、新しい命を得て生き生きと蘇った。これらの詩のいくつかが、作者の生前発表されなかったことを考えると、興味深い。

「17世紀の恋愛と、現代の恋愛はさして違わないと思うわ。これらの詩にはモダンさもあって、私の琴線に触れるの。」

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