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1951年4月7日、ブロンクス生まれ。ニュージャージー州南部の農場で育つ。彼女の両親は、娘にクラシック、フォーク、明るいドゥワップ・ジャズのアルバムを買い与え、聴かせた。そして、わずか2歳でピアノを習い始め、10歳になると、彼女の興味はギターに移っていく。12歳の時初めて書いた「Hair of Spun Gold」をフォーク・ミュージックの専門誌“Broadside”に投稿、紹介され、早くもその才能の片鱗をのぞかせた。1965年から、NYでライヴ活動を始め、1967年、16歳の時に「ソサエティーズ・チャイルド」でデビュー。14歳で書いたこの曲は、人種差別が公然と残っていたこの時代に、白人の女の子と黒人の男の子という異人種間の恋を描いたことで、全米で波紋を呼び、全米チャートで最高14位を記録した。この後5枚のアルバムをリリースするものの恋愛がきっかけで一時音楽活動を休止、73年にロバータ・フラックに提供した「Jesse」の大ヒットでシーンにカムバックし、翌74年アルバム『スターズ~ジャニスの私小説』をリリース、この後79年までは毎年アルバムをリリースした。75年にはシングル「17才の頃」、アルバム『ビトウィーン・ザ・ラインズ~愛の回想録』でグラミー賞2部門を受賞した。日本でもジャニス人気が沸騰し、そのきっかけは「恋は盲目」がドラマ“グッバイ・ママ”で、その後「ウィル・ユー・ダンス」が“岸辺のアルバム”で使われ、80年には「ユー・アー・ラヴ」が映画『復活の日』の主題歌にもなった。またその間、77年には初来日公演も果たした。

ところが81年『レストレス・アイズ~瞳はゆれて』をリリース後、音楽活動を休止。一時は全財産を失い、音楽を離れることも決意したほどだった。92年、音楽活動を再開し、『ブレイキング・サイレンス~再会』をリリースこれ以後、90年代に2枚、2000年に1枚のスタジオ・アルバムをリリース、2003年には2枚組のライヴ・アルバム『ワーキング・ウィズアウト・ア・ネット』をリリースするなど、コンスタントな活動をしている。2004年、約4年振りのスタジオ・アルバム『ビリーズ・ボーンズ』をリリース。70年代のジャニスを思い起こさせる原点回帰とも言えるシンプルな作りによって楽曲の素晴らしさが際立っている傑作に仕上がった。

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