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1897年6月7日ハンガリーのブダペストに生まれる。3歳でウィーンに移り、リヒャルト・ロベルトにピアノを学び、11歳の時に最初の公開演奏を行なった。

セルが指揮者としてデビューしたのは16歳の時で、バド・キッシンゲンのサマー・コンサートで病気の専属指揮者に代わりウィーン交響楽団を指揮した。翌年には、ベルリン・フィルの演奏会に指揮者・ピアニスト・作曲家として登場した。

リヒャルト・シュトラウスに薫陶を受け、指揮者の道を歩む。ストラスブール市立歌劇場を皮切りに、ダルムシュタット宮廷歌劇場、デュッセルドルフ市立劇場の第1指揮者に就任、1924年~29年の間は、ベルリン国立歌劇場とベルリン放送交響楽団の主席指揮者として活躍した。また、ベルリン音楽院の教授にもなっている。

1929年、セルはプラハに行き、ドイツ歌劇場とフィルハーモニー・コンサートの総音楽監督、音楽・演劇アカデミーの教授になった。この時期、セルは、ヨーロッパの一流オーケストラの客演指揮を行なうようになり、1930年と31年にはセントルイス交響楽団と専属契約を結びアメリカに旅行している。

1939年、オーストラリアからの帰途、アメリカを経てヨーロッパに帰る途中、第2次大戦の勃発で、ニューヨークで足止めをくらい、アメリカに留まることを余儀なくされた。セルは、トスカニーニの招きでNBC交響楽団の客演指揮者として、1941年ニューヨーク・デビューを果たした。続いて、ボストン、ニューヨーク、フィラデルフィア、シカゴ、ロスアンジェルス、デトロイト、クリーヴランドのオーケストラと契約を結んだ。1942年~46年にかけては、メトロポリタン歌劇場の常任指揮者として、R.シュトラウスやワーグナーなどを指揮した。1944年以来、ニューヨーク・フィルハーモニックの常任客演指揮者の一人となり、1969年には音楽顧問に就任する。

1946年、ラインスドルフの後任としてクリーヴランド管弦楽団の音楽監督に就任、以後驚くほど厳しい練習によって磨きぬかれたアンサンブルを作り、同楽団を現代最高のオーケストラに仕上げた。セルの特徴は、磨きぬかれた透明度の高い響きと、清潔を極めた端正な表現、一分の隙もない造形の均衡にある。そして、そこには常に冷静に音楽の外側にたっているように見えながら、あらゆる作品の純粋な音楽美を見事に掘り出す、指揮者として理想的な偉大な音楽性が見出せるのである。

セルは、1970年5月、大阪万国博の際にクリーヴランド管弦楽団を率いて初来日し深い感銘を与えたが、帰国後急逝し、多くのファンを悲しませた。特にモーツァルト、ベートーヴェン、ブラームスなどの演奏には、長年のヨーロッパにおける経験を活かした格調高い解釈で定評があった。