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1995年1月、阪神淡路大震災。関西を活動拠点とするロック・バンド「ソウル・フラワー・ユニオン」は、伊丹英子の発案で、被災地での「出前慰問ライヴ活動」を開始。チンドン・ミュージック・スタイルで日本・沖縄・アイヌ・朝鮮の民謡、壮士演歌、労働歌、革命歌、はやり唄などを演奏するこのアコースティック・スタイルを、彼らは「ソウル・フラワー・モノノケ・サミット」と名付ける。

震災当時少なからず行なわれていた数多くのチャリティー・コンサートと違い、何よりも事態の緊急性と被災地の現状を最優先したその演奏活動は、現地ボランティア・スタッフらとの密な連携により、継続的に行なわれている。震災後の一年間だけでも、その演奏回数は優に100回を越える。

また、時を同じくして伊丹英子によって設立された「ソウル・フラワー震災基金」も、他の既成組織に基金を委ねるのではなく、現地の実状を精査した上で、責任をもって直接、施設や現地ボランティア・スタッフに渡すという方法を選んでいる。彼らソウル・フラワーは、被災地に対する援助を声高に叫ぶだけではなく、現地の状況を正確に見据えて現実的にコミットする方法を選んだのである。

当初ライフラインが寸断された被災地で演奏する為、エレキ・ギターを沖縄の三線(さんしん)に、マイクをメガホンに変え、チンドン太鼓や和太鼓、チャンゴ、アコーディオンといった電気を必要としない楽器を使用、しかも年輩や子供達へ向けて選出された独自解釈を加えた雑多なレパートリーは、近世日本音楽の闇部を射抜く、「闇のジュークボックス」とでも呼び得る新芸能へと昇華させている。

震災の翌年、1996年1月、ソウル・フラワー・モノノケ・サミットとして初のアルバム『アジール・チンドン』をリリース。

1997年、2ndアルバム『レヴェラーズ・チンドン』をリリース。
2006年6月、9年ぶりになる3rdアルバム『デラシネ・チンドン』をリリース。
2007年2月、新たな米軍基地建設が計画される沖縄・辺野古ビーチにてフェスを企画・出演。
2008年、3月、初のライヴDVD『ライヴ辺野古』をリリース