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NYブルックリン出身。"タリブ・クウェリ"とはアラビア語で「信実の徒(Student of truth)」という意味。教育者の両親に育てられ、幼少の頃から読み書きを得意とし、小学生時代は野球選手を目指しながらも、詩や物語を書き始め、それがきっかけとなってごく自然にHIPHOPのリリックを書いたり、自分でライムするようになる。そして高校時代にモス・デフと出会い、2人でマンハッタンのダウンタウンにあるワシントン・スクエア・パークをベースに、ストリート・ラップ・バトルなどをして名を馳せていく。94年にシンシナティはオハイオに旅行中、DJハイーテック(MOODというグループで97年にアルバムをリリース)と出会い、意気投合、歴史的シングル「フォーティファイド・ライヴ」を制作、これがRAWKUSとの契約のきっかけとなり、『サウンドボミングVOL.1』にリフレクション・エターナル名義で入る。さらに98年モス・デフ組んでブラックスターを結成、HIPHOPクラシック・アルバムとなる『ブラック・スター(原題:Mos Def And Talib Kweli Are Black Star)』を発売(U.S.35万枚)、名シングル「デフィニション」はアンダーグランドのHIPHOPとしては異例のビルボード・ラップ・チャート初登場5位を記録し、当時のミュージック・シーンの度肝を抜いた。またジャンルを問わず、数々のアーティストの曲にゲスト・フィーチャーされる。その後人気を不同のものとした彼は、クールGラップやデ・ラ・ソウル、コモンらと『ヒップ・ホップ・フォー・リスペクト』プロジェクトや、2000年にはハイーテックとのプロジェクト・アルバム『リフレクション・エターナル』(U.S.50万枚)を完成させる。2000年に入ってからは、ザ・ルーツらが主催するOkayplayerツアー、デ・ラやコモンらが参加したSpitkickerツアー、エリカ・バドゥらを同行させた自身のメイン・ツアー=Qualityツアー、さらにジェイ‐Z、ブラッカリシャス、N*E*R*Dらが参加したSpriteツアーとさまざまな舞台を股にかけている。また「Nkiru Center For Education & Culture」という本屋をモス・デフとともに経営していることも有名。そして2002年11月に実質RAWKUSとしては最後となった待望のソロ・アルバム『クオリティ』を発売、カニエ・ウェスト、DJスクラッチなどの人気プロデューサーやバラエティに富んだゲスト陣が集結、「ウェイティング・フォー・ザ・DJ feat.ビラル」などがヒット、特にカニエProの「ゲット・バイ」はクラブを中心に名シングルと評される。U.S.では50万枚近くのセールスを記録。その後もフィラデルフィア発のアーティスト組織体=Okayplayer勢へのバックアップ活動をベースに、カニエのブレイク作などに参加。2004年9月にはビースティ・ボーイズのツアーも参加。

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