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1973年、ジャマイカ/キングストン生まれ。13才でDJとしてのキャリアを開始し、スウィート・ラヴ他の地元サウンド・システムで活動を始める。最初のレコーディングは1986年の「The Ruler」。その後、バニー・リー、ウィンストン・ライリー等著名プロデューサーのもとでリリースを開始して注目を集める。88年にウィンストン・ライリーの〈テクニークス〉からリリースされた「Stamina Daddy」でブレイク。スラックネス(下ネタ)やゴシップをテーマとした曲を、その端整なルックスに似つかわしく無いストロングな歌声でDJするスタイルが受けて、当時のトップ・スターのシャバ・ランクスの「二世」として一躍注目を集める。その後、活動の拠点をドノヴァン・ジャーメイン率いる〈ペントハウス〉に移し、天才トラック・メーカーのデイヴ&トニー・ケリー兄弟のもとで、「Love Mi Browning」「Batty Rider」、盟友ウェイン・ワンダーとの「Bonafide Love」等ヒット曲を連発。一気にスターダムへと上り詰め、93年にアルバム『VOICE OF JAMAICA』でメジャー・デビュー。

94年に突如「ラスタ宣言」。当時のシーンのルーツ&カルチャー・ムーヴメントの影響、また親友のパン・ヘッドの射殺等が理由とされるが、それを期にそれまでのアイドル・スター路線とは決別し、ドレッド・ロックスと髭を伸ばし、スピリチュアルでメッセージ性の高いリリックを歌うようになる。そのラスタ転身後の一作目となる95年のアルバム『TIL' SHIOH』は世界的な大成功を収め、ブジュ・バントンの人気を世界レベルで決定付ける。この『TIL' SHILOH』は現在でも、「Untold Stories」「Murderer」他、ブジュ・バントンの数多く代表曲を収録したレゲエ史に輝く大傑作としてレゲエ・ファンには広く認知されていると同時に、その後にシーンの頂点に立つこととなるシズラ、アンソニー・B、ケイプルトン等多くのアーティスト達にも多大な影響を与えることとなった作品として知られる。レゲエの歴史を変えた名盤。そして、この『TIL' SHILOH』、また同路線の97年の『INNA HEIGHTS』の成功によって、ブジュ・バントンは単なる「スター」ではなく、「カリスマ」の称号を獲得。また世界的なアーティストとしての人気を不動のものとすることとなる。

以降、現在まで、ブジュ・バントンはレゲエ・シーンを代表するアーティストとして、シーンの動向とは関係無く圧倒的な人気と支持を集め続けている。また自らのレーベル〈ガーガメイル〉を興し、トップ・プロデューサーの一人としても活躍している。