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HATESPHEREの歴史は3人の高校生、イェスパー・モエスガード(Dr)、クラウス・ニールセン(vo)、フランツ・ディン(Gu)によって'93年Cauterizedというバンド名からスタートした。

当時はSLAYERやSEPULTURA等のコピーバンドにしか過ぎなかったが、その後バンドメ名をNECROSISに変え、小さいながらもレコーディングを開始する。ある時現ギタリストのピーター・ライズ・ハンセンがNECROSISがメンバーを募集しているのを聞きつけ、バンドにコンタクトをとる。そうして彼はバンドに加入し、すぐにSLAYERやENTOMBEDなどの曲をやり始める。そしてNECROSISは 「Condemned Future」「Disconnected」「Spring98-Promo」という3つのデモを作成する。

その後、元INVOCATORのボーカリストでデンマークに当時Serious Entertainmentというレコードレーベルを所有していたヤコブ・ハンセンが『Extremity Rising Vol.4』というアルバムにNECROSISを参加させるよう依頼。その前にフランツがバンドに合わないとバンドを脱退し、現ベーシストのミカエル・アーラートが加入している。そしてこの曲がヤコブに強烈な印象を与え、彼のレーベルとのディールをもちかけることになる。それからしばらくしてヤンがバンドを脱退。その後任として現ギタリストのジギーが加入。

しかし次にバンドが直面した問題はバンド名だった。そして考えついたのがHATESPHEREというバンド名。'00年3月プロデューサーのヤコブと共に1stアルバムの制作に取り掛かる。しかしギターとボーカルをミックスしていたスタジオが閉鎖されてしまい、アルバムを出せない状況になってしまう。バンドはその後TESTAMENTやMAYHEMのサポートでギグをこなし、活動を続ける。そしてイタリアのレーベルSCARLET RECORDSがバンドに興味を持って、ディールを交わす。ようやくアルバムをリリースできる体制が整ったのである。その頃イェスパーが脱退し、現ドラマーのモルテン・トフト・ハンセンが加入する。これでオリジナル・メンバーは誰一人としていなくなってしまう。

結局かなりの遅れがあったにせよ、'01年4月にようやく1stアルバム『HATESPHERE』を発表。日本でも同月に発売された。そして前作『Bloodred Hatred』はトミー・ハンセンのプロデュースによりJailhouse Studiosにてレコーディングを開始。日本でも2002年8月にリリースされ、その明らかなる成長にファンは度肝を抜かれた。しかし、『Bloodred Hatred』のレコーディングの直後、ギタリストのジギーがバンドを脱退してしまう。その代わりに以前デンマークのデスメタル・バンド、KOLDBORNでプレイしていた現ギタリストヘンリク・ヤコブセンが加入。MNEMICやVADER、TESTAMENTらと数々のフェスティヴァルやショウを行った後、2003年4月からHAUNTED、MASTODONと共にヨーロッパツアーに出る。ツアー終了後、ドラマーのモルテン・トフト・ハンセンも脱退してしまう。そしてデンマークのスラッシュ・ロックの伝説バンド、GROPEのアンダース・ギルデンオールが加入。

2003年12月には『Something Old, Something New, Something Borrowed and Something Black』というミニ・アルバムをリリース。その後、様々なフェスティヴァルやギグをこなしながら、2004年には3rdアルバム『BALLET OF THE BRUTE』のボーナス・トラックにも収録されている『The Killing EP』をリリース。2005年に入り、EXODUSとの長期ツアーをこなすなど、精力的に活動を続け『THE SICKNESS WITHIN』を2005年10月にリリース。ちなみにこの作品からSPVに移籍。そして2006年3月に行われたIndependence-Dに出演するため初来日を果たす。

彼等の怒涛のステージに魅了されたファンも多く、ライヴ・バンドとしての実力をまざまざと見せ付けた瞬間だった。彼等の人気がますます高まる中、2006年末から本作のレコーディングに入る。長年のつきあいであるトミー・ハンセンの協力の下、今まで以上の強力な意思と状況で創り上げた本作はHATESPHERE史上最強のものであると確信できる作品となった。