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1965年、当時大学生の加藤和彦の雑誌「MEN'S CLUB」での呼びかけに応じ、きたやまおさむが加藤を訪ねる。

その後、平沼義男、井村幹生、芦田雅喜が加わって5人で結成され、「世界中の民謡を紹介する」というコンセプトから「ザ・フォーク・クルセイダーズ」と名乗り、関西アンダーグラウンドシーンで活動していた。

1967年の解散を記念して自主制作盤アルバム『ハレンチ』を制作。このアルバムの中に自作の「帰って来たヨッパライ」とアマチュア時代から歌い続けてきた「イムジン河』が含まれていた。

同年10月に開催された第1回フォークキャンプコンサートに出演した後に解散する。
1967年、アルバム『ハレンチ』の楽曲がラジオで取り上げられるようになる。京都では『イムジン河』、神戸では『帰って来たヨッパライ』が頻繁にラジオで流されるようになった。

同年、東芝音楽工業よりシングル「帰って来たヨッパライ / ソーラン節」でプロ・デビュー。この時、平沼らに代わってはしだのりひこが参加する。

「帰って来たヨッパライ」は1968年に開始されたオリコンで史上初のミリオンヒットになり、当時の日本のバンドによるシングル売り上げ1位となった。

1968年、「帰って来たヨッパライ」「悲しくてやりきれない」などの曲を含むアルバム『紀元弐阡年』を発売。

1968年10月"さよならコンサート"を開催し、1年間の活動に終止符を打つ。
解散後、1969年に加藤はソロに転向。1971年4月に加藤和彦ときたやまおさむのコンビでシングル「あの素晴しい愛をもう一度」を発売。1971年11月にサディスティック・ミカ・バンドを結成。

はしだのりひこは、「はしだのりひことシューベルツ」「はしだのりひことクライマックス」「はしだのりひことエンドレス」などを結成、解散を繰り返し、ソロ転向。

きたやまおさむは作詞家と活躍しながらも、大学院進学を機に活動を中止する。
2002年、加藤和彦はきたやまおさむと再会しTHE ALFEEの坂崎幸之助を迎えてザ・フォーク・クルセダーズを新結成。11月17日に、NHKホールで一度きりのコンサート『新結成記念解散音楽會』を開催。アルバム1枚とシングル1枚を発表するが、新結成は当初より期間限定であったため、2002年12月31日をもって解散。

2006年9月10日、埼玉県狭山市の狭山稲荷山公園内にて開催された『HYDEPARK MUSIC FESTIVAL 2006』にて「ポーク・クルセダーズ」名義にて一夜限りの再結成コンサートが行われた。

そしてもともと企画されていたというフォークルの「次」に向かう道筋を形にすべく、きたやま・坂崎両氏が再び集結。

加藤和彦氏の追悼の意も深く込めて、ここに第4次フォークルの再結成が実現。
NEW ALBUM「若い加藤和彦のように」が2013年3月30日に発売された。
また2013年12月には1968年の発売から45年を経て、
「紀元貮阡年」のデラックス・エディションをリリース。