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Mariko Doi(Bass/Vocals/rhythm sequencing)
Tony Wade(Guitar/Vocals/rhythm sequencing)

メルトダウン地点まで押し出された、スローガンを叫ぶヴォーカルと制御不能なギターとエレクトロニックの結合。レヴェルロードは恥じることなくポップでいながら、ボクシンググローブをはめた蹄鉄よりもハードなパンチを浴びせかけてくる。

ネオンに飾られたトーキョーの空の下、少年と少女は衝突。ふたりは何時間もブロンディーやワイヤー、そしてラモーンズについて論戦を交わした。ギターを弾く少年、そして少女はベースでデュエットに参加。いくつかのリフが出来上がると、突然完璧な意味をもつサウンドが誕生することとなった。数週間後、山ほどのクールでとてつもなくタフな楽曲とともに長旅を経て、彼らはロンドン征服への準備を整えた。

ロンドンで彼らのサウンドは、すぐさまジョン・ピールの耳を捉え、“レザーフェイスの「レイザー・ブレーズ・アンド・アスピリン」以来のベスト・ヴォーカル”と賞賛される彼らのファースト・トラック「パルーカヴィル」は、彼の番組でオンエアされ、貴重な三ツ星ランクを与えられた。

イギリスやアイルランド周辺のライブハウスに廃棄物を撒き散らし、時折ヨーロッパを襲撃(ザ・ハイヴスのためのDJセットを含む)した後、彼らは自身のレッド・アイドル・レーベルからシングル「HND in RNR」をリリース。パンキーでいてキャッチーなクラシックポップの要素も兼ね備えたこの曲は評論家筋からの熱狂的な支持を集めたサントラ「ダーティー・サンチェス・ザ・ムーヴィー」に収録された他、ラジオでオンエアされ、コカコーラがビデオ制作まで買って出るほどの評判を呼んだ。この楽曲は後に日本のメジャーレーベル、エイベックスによりピックアップされ、JポップアーティストのItscoが「Seki-Lalala」というタイトルで再レコーディング。レヴェルロードのソングライターとしての多様性を示すこととなった。

その後のドイツや日本ツアーの成功は彼らの活動範囲をさらに広げることとなり、2007年末に日本のレーベル、フライトパス・レコーズ&ツアーズと契約、デビューアルバム「Yellow Fever」が2008年2月6日にリリースされた。