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ブラジルから突如登場したスラッシュ/デス・メタル・バンド、セパルトゥラの名を一躍世界中に轟かせ、その後も自らの信念に基づいた「ヘヴィ・ミュージック・ミーツ・トライバル・ミュージック」というスタイルを探求すべく始動させたソウルフライで、民族音楽を大胆に取り入れながらも強靭でより研ぎ澄まされたヘヴィネスが渦巻く独自のスタイルを築き上げた孤高の存在感を放つシーン最大のカリスマ、マックス・カヴァレラ。

1969年8月4日、ブラジルのベロ・ホリゾンテにて生まれた彼は1980年代にメタル・ミュージックの魅力に取り付かれ、1983年、弟でもあるイゴール・カヴァレラと、ジャイロ・ガウデス、パウロ・ピントと共にセパルトゥラを結成、地元のクラブで活動を続けながら徐々にその名前を地元に広めていき、1985年にEP『BESTIAL DEVASTATION』を地元のインディーズ・レーベルより発売しデビューを飾る。翌年1986年にはデビュー・アルバムとなる『MORBID VISIONS』、その後ジャイロの代わりにアンドレアス・キッサーをギタリストに迎え、1987年に『SCHIZOPHRENIA』をリリースし、ブラジル発のスラッシュ・メタル・バンドという目新しさもあり、世界中のアンダーグラウンド・ファンの間で話題となるバンドへと成長していく。

1989年『BENEATH THE REMAINS』からレーベルをロードランナーへと移籍し、その活動をワールドワイドに展開していく事により、彼らの名は世界中のメタル・ファンに知れ渡るようになる。そして1991年にいまだスラッシュ・メタルの最高傑作という声も多い『ARISE』をリリース、この作品以降、スラッシュという枠にとらわれず彼ら自身のうちに深く根ざした要素~民俗音楽的テイストを取り入れ、よりヘヴィかつグルーヴィとなった『CHAOS A.D.』(1993年)でその音楽性を確固たるものにし、さらにその方向性を突き詰めて制作された『ROOTS』(1996年)で、その後巻き起こるヘヴィ・ロック隆盛期の下地を作り上げる事となる。

…が、このアルバムを最後にマックスはセパルトゥラを脱退、自らの信念に基づくヘヴィネスを探求すべくソウルフライを結成、1998年に発表したデビュー・アルバム『ソウルフライ』以降、コンスタントにアルバムを発表し、ヘヴィネスとトライバル・サウンドとを高次元で融合させた独自のサウンド・スタイルを追及していく。弟でもあるイゴールはマックス脱退以降も新たなヴォーカリスト、デリック・グリーンを迎えセパルトゥラとしての活動を続けていくのだが、2006年、彼も正式にセパルトゥラからの脱退を表明、メタル・ミュージックからしばらく遠ざかることを決意、ヒップホップへの愛情をそのままぶつけるかのようにDJチームMIXHELLの活動を開始させたり、ヒップホップ・アーティストNECROとのプロジェクトを始動させていく。

マックス脱退以降、兄弟二人はお互いに連絡を取り合うこともなく、全く別々の道を歩んでいたのだが、イゴールがセパルトゥラからの脱退を表明した2006年、毎年行なわれている<D-LOW MEMORIAL CONCERT>に出演するマックス率いるソウルフライのショウに飛び入りで参加、約10年振りに兄弟二人が同じステージで共演するという歴史的事件が起こり、長く交流のなかった二人はまた家族へと戻り、そしてミュージシャンとしてもお互いに関係を復活させる。

その時の興奮はそのまま新プロジェクトへとつながり、ソウルフライでマックスと共に活動するマーク・リッゾ(g)、そしてGOJIRAのフロントマンであるジョー・デュプランティエをベースに迎え、新プロジェクトCAVALERA CONSPIRACYを始動。2008年にアルバム『INFLIKTED』を発表、その奇跡とも言える兄弟のリユニオン、そしてこの二人の化学反応でしか成しえない重く激しいメタル・サウンドが爆発したこの作品はシーンに大きな衝撃を与える事となった。

アルバム発表後もソウルフライと同時進行でツアーを行ない、ここ日本にも2009年夏、<SUMMER SONIC FESTIVAL>出演のため来日、そのカリスマ性溢れるパフォーマンスで観客の度肝を抜いた事も記憶に新しい。その後もマックスはこのプロジェクト用に楽曲を書き続け、ソウルフライとしての最新作『OMEN』(2010年)を作り上げた直後、盟友ローガン・メイダー(元MACHINE HEAD, ソウルフライ)とタッグを組み、さらなるブルータリティを手にしたCAVALERA CONSPIRACY名義でのセカンド・アルバム『BLUNT FORCE TRAUMA』を完成させた。