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何よりもサウスはその音楽性と強いファミリー結束で有名である。アメリカ南部中央のケンタッキー州にある乾燥地域郡(アルコール禁止郡)という、やることもほとんどない、小さな田舎町エドモントンからやって来たBLACK STONE CHERRYは、この言葉によく当てはまる。BSCメンバーも含み多くの住人にとって、音楽が彼らのエスケープといった町であり、音楽があふれているところである。「最高なブルーグラスやサザンゴスペルグループがたくさん居るんだ。お気に入りもたくさん居るよ」とベンが語るように、音と共に育ってきた4人はそれぞれ家族から音楽的伝統を受け継いできた。ジョン・フレッドの父、リチャードはグラミー賞に輝いたKentucky Headhuntersの結成メンバーであり、ジョン・ローホンの大祖父はジャズ・ドラマーであったという。クリスは、楽器を一から作り上げてしまう という祖父からギターを譲り受け、父からコードを学んだ。また学校でも、問題を起こすと校長室に呼ばれ、ジャム・セッションを校長自らしていたらしい。

故郷エドモントンで音楽に囲まれて育った彼らはメイン・ストリームからかけ離れたものを創作する能力がある。ジョン・フレッドは、「ひとつの音楽ジャンルをプレイすることに対し競争の全くないところで育つと、独自の音楽スタイルを生み出してしまうのかもね」と話し、ロバートソンは「ここみたいに周りには何もない、辺ぴな町に居ると、自分自身をエンターテインしたくて独自のものを考え出したくなるんだよ」と付け加える。

クリスとジョン・フレッドは高校時代まだティーンエイジの頃一緒にプレイし始め、その後間もなくしてジョン・ローホンとベンが加わり、正式にバンドを結成したのが2001年6月4日。BSCは1968年からKentucky Headhuntersのテリトリー下であった100年もの歴史を持つ練習小屋を乗っ取り、リハーサルに明け暮れた。その練習小屋には、ポスターやフライヤー、アルバム・ジャケットといった何十年にも及ぶロックの歴史をつかさどる思い出の品々が壁一面に張られ、独特のバイブを醸し出している。「僕らはキッズルームからそのポスターを見ては、いつかは僕らもなぁって思い浮かべながら育ったんだ。そのレベルにふさわしい何かを生み出したいって後押ししてくれた場所だよね」とジョン・フレッドは言う。

デビュー・アルバム『BLACK STONE CHERRY』では南部にまつわる物語などを歌う。ジョン・フレッドは「井戸の奥深くを掘っていって、今起こっていることとは全く違ったものを引き上げるみたいな感じにしたかったんだ。みんなが本当にしがみつくような音楽にしたかった-今あるものとは全く違う何か、でも先年の素晴らしいROCK像を人々に思い起こさせるようなものを」と語る。

そして正にそれがエドモントンで起きた。デビュー・アルバムのレコーディングが終了すると、あの校長先生がバンドを招待し、デビュー作を記念して中学校の体育館でコンサートを開いたのだ。道路という道路にはバンドの帰郷を歓迎したWELCOMEサインが至るところに飾られ、工事現場の電気看板には『本日BSCショー@中学校』という看板まであったという。そして体育館は1500人によって埋め尽くされた。