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サンフランシスコのベイエリア、オークランド生まれのシーシック・スティーヴは、7歳でギターと出会いミシシッピのブルースマンに弟子入り。13歳で母親の同棲相手のDVから逃れるために家出、ホームレス生活に。16歳から路上演奏を始めるが、彼の音楽スタイルは既に時代遅れで、肉体労働で生活を支える日々が続いた。80年代に入ると、ツアー先のオスロで知り合ったノルウェー人女性と2度目の結婚し、シアトル郊外にスタジオを構える。レコーディング・エンジニアとして活躍し、ワシントンの音楽シーンのちょっとした顔となり、自分の名前でライヴが出来るようになる。しかし、01年に妻のたっての希望で彼女の故郷、オスロに転居。この地で彼は、デンマークに向かうブーズ・クルーズ(船で安い酒やタバコを海外に買いにいくこと)で味わった腸が捩れるような船酔い経験から"Seasick"(船酔い)の通称を得る。03年Seasick Steve and the Level Devils名義でリリースした自己流のカントリー・ブルースを集めたアルバム「Cheap」がスマッシュヒット。UKのラジオでも注目され、ようやく時代が彼に目を向け始めたと思われた04年、自宅で心臓発作に襲われるという悲劇が起こる。おりしも、看護師としての再訓練を受けていた妻のおかげで九死に一生を得ることに。その妻の勧めで再び制作されたアルバム「Dog House Music」(06年)はメディアでたちまち話題となり、Jools Hollandの「Hootenanny」(英国の人気TV音楽番組”LATER”の賑やかな大晦日特番)への出演が決定。それをきっかけに07年夏、ヨーロッパの各フェスで「必見アーティスト」として大注目される。その年のMOJO賞(英国の有名音楽賞)では、最優秀新人賞を受賞。08年には日本のフジロックにも出演。これだけの注目を集めることに、彼は今も控えめに困惑を見せる。「何千もの人たちの前に出るたびに俺は思うんだ。“何てこったい。こんな若くもない、有名になったことも一度も無い年寄りが、何でいきなりこんな成功を掴めたんだい”ってな。俺の意見はこうだ。タイミングがよかったんだな。みんながオシャレなものにうんざりしてるのさ。だから、きっと俺みたいなヤツがアコースティック・ギターを弾きながら箱を踏み鳴らすのを聴きたいって思うんだろうな」