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70年ハイチのクロワ・デ・ブーケ(花の十字架)郊外に生まれたWyclef Jean。当時のハイチのことをWyclef自身あまり多くを語らないのだが、その生活水準は実に低いものだった。そのハイチからの難民としてWyclefはマイアミに逃れ、9歳の時にブルックリンのジャマイカンエリアに移住することになる。

ハイチ出身ミュージシャンの多くはその境遇を隠し、他の国籍を取得し、ミュージシャンとしてのステイタスを作り上げるが、Wyclefは一度も母国ハイチを捨てたことは無かった。常にハイチ国民としての誇りを持ち、自らを難民と名乗るFugeesを'90年にLauryn Hill、Prasと結成する。そして'93年には「Blunted On Reality」でデビューした。

しかし、レーベルの期待とは裏腹に大きい売り上げを作ることは容易ではなかった。ただSalaam Remiのリミックスを含むリカットシングル「Nappy Heads」がMTVやラジオでのヘヴィーローテーションもあって、彼らの知名度を押し上げた。そしてブラックミュージック史上記録的な売り上げとなった2ndアルバム『The Score』が'96年にリリースされ全世界で1,700万枚という爆発的ヒットを記録し、グラミー賞にも2部門エントリーした。このアルバムから出すシングルは全てヒットし、一躍時のグループとなった。

そして'97年の4月にはハイチにてFugeesの凱旋ライヴが行なわれると同時にWyclef Jean基金を設立したが、孤児や難民を支援するために使われるはずだったこのライヴの売り上げ金は、ハイチ政府より着服されてしまった。しかし、'98年にマイアミにて同じようなベネフィットライヴを行なっている。そしてFugeesの熱が冷めぬうちにWyclefは既にソロ活動を始め、'97年の夏には1stアルバム『The Carnival』をリリース。この中からサタデーナイトフィーヴァーでお馴染みの「Stayin' Alive」を使った「We Trying To Stay Alive」が大ヒット。