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米国カンザス州カンザス・シティ郊外出身、当時高校生だったジム・サプティック(g)、ロブ・ポープ(b)、マット・プリオール(vo,g)、ネイサン・シェイ(ds)の4人で結成、94年12月の初ライヴを皮切りに、学業の合間を縫ってライヴを重ね、95年春、「Shorty」「The Breathing Method」の2曲を自費録音(後にHuey Proudhon Recordsからシングルとして発表)。ネイサンが学業を理由に脱退したのを機に96年5月ロブの弟、ライアン(ds)が加入する。 Contrast Recordsから’7インチ・シングル「Love Teller」、そしてDoghouse Recordsから7’インチ・シングル「All Stars (Second Place /Woodson収録)」を発表したバンドは、まだ高校生だったライアンの学校休暇を利用して、ボブ・ウェストン(SHELLAC)のもとわずか2日半でレコーディングした1stアルバム『FOUR MINUTE MILE』を97年4月Doghouseからリリース。同作は全米カレッジ・チャート最高位3位を記録する。その成功を受け、学業を休業しバンド活動に専念することにしたバンドは、 BRAID、GRADE、CONVERGE、COALESCE、MINERAL、NO KNIFE、JIMMY EAT WORLD、ROCKET FROM THE CRYPT、MxPxらとツアー、多い時には年間200回以上のライヴを行った。ツアーの合間には、BRAIDやCOALESCEとスプリット・シングルを発表、様々なコンピレイション・アルバムへも参加。メジャー系列レーベルからも声をかけられるが、バンドは当時FACE TO FACEらを抱えていた新興インディペンデント・レーベルVagrant Records傘下に自身のレーベルHeroes and Villains Recordsを設立(のちにこのレーベルは消滅)。

COALESCEのドラマー、ジェイムス・ドゥウィーズをキーボードに迎え5人組となったバンドは、99年3月Doghouseから発売した10インチ「RED LETTER DAY」に続き、チャド・ブリンマン・プロデュースによる2ndアルバム『SOMETHING TO WRITE HOME ABOUT』を’99年秋発表。2000年2月には初来日公演を行い、超満員の観客の前でHUSKING BEEやHi-STANDARDと共演した。

全米ツアーを続けたバンドは、2000年夏英国Reading Festivalに出演、"BBCセッションズ"にも出演するなどイギリスでも高く評価を受ける。忙しい活動の合間を縫ってソロ・プロジェクト(マットのTHE NEW AMSTERDAMS、ジェイムスのREGGIE AND THE FULL EFFECT)でも活発に活動。2001年初頭GREEN DAY、WEEZERの米国ツアーのサポート・アクトをつとめ、その後所属レーベルのアーティストを一同に集めた"Vagrant America 2001 tour"一部公演へのゲスト出演以外はライヴ活動を控え、曲作りに励む。2001年末、シングルB面曲やコンピレイション・アルバムに提供した楽曲を集めた企画盤『EUDORA』を発表。2002年になるとすぐに、R.E.M.、INCUBUSを手掛けたことで有名なスコット・リットをプロデューサーに迎え3rdアルバム『ON A WIRE』のレコーディングを開始し、5月に発表。7月にはFuji Rock Festival02に出演、夕暮れ時のWhite Stageという最高の場で、見るものを切ない気持ちにさせる好パフォーマンスを披露する。その後英Reading Festivalに2度目の出演、数度の米国ツアーを行った後、2003年2月末~3月上旬に再来日公演を行う。

2004年1月日本のみ先行EP「WOULDN’T BELIEVE IT」をリリースしたのに続き、2月に4thアルバム『GUILT SHOW』をリリース。2004年4月末にSAVES THE DAYを従えて再来日公演を行う。

2005年1月7日、地元カンザス州ローレンスにて10周年記念ライヴを行い、そのライヴをレコーディング。しかし同年3月、6-7月の北米公演を最後に解散することを発表。

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