ニュース・最新情報

プロフィール・バイオグラフィ・リンク

Gilbert O'Sullivan は'46年12月1日アイルランドに生まれる。本名は Raymond Edward O'Sullivan 。7歳の時にイギリスに移り住む。12歳の頃からピアノを始めると同時にアマチュア・バンドを組んで音楽活動も始めた。まずドゥードゥルズ、次にセミ・プロ・バンドのプリフェクツを結成し、The Shadows などを演奏していたそうだ。アート・スクールに通いだす頃には、The Beatlesの影響で自分でも曲を書くようになっていた。'66年にロンドンに出てきた O'Sullivan は、19世紀の喜歌劇の作曲家チーム Gilbert & Sullivan にちなんで Gilbertというアーティスト名を付け、デモ・テープをレコード会社や出版社に売り込みを始める。'67年にCBSと契約し、シングル「Disappear」でデビューするがさほど話題にはならない。'68年、メイジャー・マイナー・レコーズに移籍するがそこでも何も起こらなかった。'69年、Tom Jones や Engelbert Humperdinck を育てた敏腕プロデューサー Gordon Mills と出会い、彼の主催するMAMレコードと契約してから O'Sullivan の時代が始まる。'70年に「Nothing Rhymed」を発表し全英8位を記録。翌'71年には「We Will」が全英16位、「No Matter How I Try」が全英5位、そしてデビュー・アルバム『Himself』も全英15位と、瞬く間に英国ポップス界に確固たる地位を築いたのである。そして'72年に発表した「Alone Again (Naturally)」の爆発的ヒット(全英3位 / 全米1位)により、その成功は世界的規模になった。それまでのチャップリンのような時代錯誤のハンチング帽スタイルをやめ、胸にGマークをつけたセーターを着て大変身をはかり、アメリカのTV番組にも出演したりした。同年更に「Clair」を全米2位に送りこんだ後、2ndアルバム『Back To Front』を発表しこれも大ヒットとなる。その後'73年にも「Get Down」(全英1位 / 全米7位)や3枚目のアルバム『I'm a Writer, Not a Fighter』、'74年には『Stranger in My Own Backyard』など、順調に好作品を発表していく。しかし次作『Southpaw』までには3年のブランクが開いてしまう。初めて O'Sullivan 自身がプロデュースを行なったこの作品がきっかけで Gordon Mills との関係が悪化、長期の法廷闘争まで発展してしまう。レコーディング活動からも遠ざかるを得なかった。 '80年にCBSに戻って『Off Centre』を制作するがそれからも寡作状態が続き、'82年の『Life & Rhymes』以降は7年間もアルバムを出さなかった。しかし'89年のカムバック作品『In The Key Of G』を発表した後は再び活動が軌道に乗り出したようだ。'92年に「Alone Again (Naturally)」がCMソングに起用されたのをきっかけにして、旧作のCD化や未発表音源の発表、来生たかおとの共演や、「Tomorrow, Today」がTVドラマに使われるなど、思いもよらぬほど話題が続き、日本において O'Sullivan の音楽が再評価された。そしてこの年、初来日公演を実現させ大成功を収める。最近はイギリスとフランスの間にあるジャージー島という小さな島にプライベート・スタジオを完成させ、2000年にはそこで作り上げた『Irlish』を発表し、相変わらずの音楽スタイルで安らぎを与えてくれた。

ライブ・コンサート・チケット