ニュース・最新情報

プロフィール・バイオグラフィ・リンク

Minneapolis出身のSemisonicは、大きなブレイクを果たすことなく過小評価されたまま終わったTrip Shakespeareの遺灰の中から不死鳥のようによみがえり、スマートで完璧なまでに技巧を凝らしたポップスで急速にメディアの注目を集めた。だが'98年には、2枚目のフルアルバム『Feeling Strangely Fine』で新たに商業エリアへと進出、大きなラジオヒット「Closing Time」を放ったほか、ビルボードのアルバムチャートにも躍り出た。メンバーのDan Wilson(Vo.、G)、John Munson(B、Vo.)、Jacob Slichter(Dr.、Key.)にとっては、これは非常に好ましい展開であった。

'92年に結成されたバンドは、当初はPleasureという名前で、パーティや地元のクラブで演奏し、純粋な楽しみのための全曲カヴァーによるサイドプロジェクトであった。(Pleasureの初期のレパートリーにはTodd Rundgrenの「Couldn't I Just Tell You」、 Rufus & Chaka Khanの「Tell Me Something Good」、Dobie Grayの「Drift Away」といった名曲が含まれていた)。その当時WilsonとMunsonはまだTrip Shakespeareのメンバーで、長年の友人でいくつかのMinneapolisのグループに在籍したベテランのSlichterはときどき曲のアレンジでTripを手伝ったことがあった。しかし、数カ月のうちにTrip Shakespeareの一時的な活動休止が永遠のものとなり、Pleasureは3人のメインプロジェクトになった。

その後2年間でバンドは数多くのオリジナル作品を仕上げ、中西部を頻繁にツアーした。'95年の初めには、昔のファンクバンドPleasureの代理人からコンタクトがあり、バンド名を変えなければ法的手段を取ると丁重な申し入れを受けた。不必要な敵を作る必要はないと考えた3人はバンド名をSemisonicに変更したが、元の名前に大きな愛着があったので、ボストンベースのCherryDiscレーベルからのデビューEPのタイトルを『Pleasure』としたのだ。抵抗できないフックと満足できるくらいに文学的な歌詞を強調した彼らの音楽は、しだいに大手レーベルの関心を集めるようになり、最終的には争奪戦に勝利したMCAと契約することになった。(実際にはその前にElektraと契約を結んでいたのだが、1stアルバムのレコーディング途中で会社側の体制に変化があり、これを不利だと感じた彼らの訴えが認められて契約は解除されている)。

Semisonicの初フルアルバム『Great Divide』は、Paul Foxのプロデュースにより'96年に発売された。覚えやすいメロディとパワフルな演奏のアンサンブル、そして胸を打つ誠実さ(ポストモダンという皮肉な時代においては、ファッショナブルでないことでよりいっそう歓迎された)を組み合わせた音楽性は、他の誰にもましてRolling Stone誌のDavid Frickeをして年間のベスト作のひとつと呼ばせるほどであった。その一方でバンドはダイナミックなライヴパフォーマーとしての評価を確立、特にドラムとキーボードを同時にプレイするSlichterの存在は大いに注目を集めた。