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「神の英知(=God's wisdom)」という意味の名前をもつニュージャジー出身のジャヒーム(本名:ジャヒーム・ホグランド)は、言葉が話せるようになった時にはすでに歌い始めていたという。2才で父親が他界し、プロジェクト(集合住宅)で母親に育てられた彼は、犯罪や死が隣り合わせという過酷な環境の中、歌うことが最上の楽しみとして成長する。

1日中ルーサー・ヴァンドロスを聴きつづけ独学で歌い方を学んでいた、という彼は、マーヴィン・ゲイ、スティーヴィー・ワンダーなどに傾倒する一方でモブ・ディープ、2PAC、ザ・ノトーリアスBIGなどHIPHOPのエッセンスも吸収していった。

15才になるとオーデションに参加するようになりApollo Theaterの「アマチュア・ナイト」で3週連続優勝するなど非凡な才能を発揮。翌年には初のショウを開くまでになる。しかし17歳の時に最愛の母が他界。希望を失いかけたが、幼い弟たちのために歌の道で生きて行くことを決意。

18才の時、ニューアークにある「Naughty Gear Store」にルーサーの歌を吹き込んだデモ・テープを持ち込む。これがオーナーである元ノーティー・バイ・ネイチャーのKayGeeの手に渡り、この若者に才能を見出したKay Geeは自身のプロダクションDivine Millと契約を結び、2年後Divine Millを通じて見事Warner Bros.とメジャー契約を結ぶことに成功。こうして2001年にデビュー・アルバム『ゲットー・ラヴ』のリリースを果たしたジャヒームは、そのパワフルでいてシルキーなテイストを持つ歌声で、R&B/ソウル界きっての本格派シンガーとして一躍注目を集める。このアルバムから「クッド・イット・ビー」「ジャスト・イン・ケース」というヒットを放った彼は、翌2002年に2nd『スティル・ゲットー』をリリース。シングル「ファビュラス」「ダイアモンド・イン・ダ・ラフ」「プット・ザ・ウーマン・ファースト」など連続ヒットさせる。

2004年にはネリーの2枚連続アルバム『スーツ』『スウェット』からのシングル「マイ・プレイス」にフィーチャーされ、この曲は全米チャート最高4位となる大ヒットとなり、ジャヒームの存在感を広く知らしめる結果となった。2006年には"ゲットー・ソウル3部作"の完結編となる3rd『ゲットー・クラシックス』をリリース。見事、自身初の全米チャート初登場1位を記録したこのアルバムからは、「エヴリタイム・アイ・シンク・アバウト・ハー」「チョーズン・ワン」というヒットを輩出。

そして、2007年には、ソウルの殿堂=ATLANTICレーベルへ移籍を果たし、通算4枚目となるアルバム『THE MAKINGS OF A MAN』をリリースし、「ネヴァー」、「アイヴ・チェンジド」のヒット曲を生み出しゴールド・アルバムのセールスを記録。2008年には古巣のワーナーブラザース(WB)よりWB時代の代表曲を集めたベスト盤『CLASSIC JAHEIM Vol.1』をリリースした。