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1970年、ボストンにてオランダ系インドネシア人の父とフランス系レバノン人の母の間に生まれたアーマンドは、自らのアイデンティティを「CABLINASIAN」=「CAUCASIAN + BLACK + INDIAN + ASIAN」と定義する。

父が米国空軍勤務だった関係で幼少時代はトルコ、オランダ、イタリアなど各国を転々とする生活を送った。
彼の音楽の特徴である独特のミクスチャー性は、こうした環境が大きく影響している。シュガーヒル・ギャングの「ラッパーズ・ディライト」でヒップ・ホップに開眼した彼は、15歳の時にヒップホップの制作を始め、その後18歳でボストンに戻るとトッド・テリーによってハウスに目覚める。

拠点をニューヨークへ移した92年にディープ・クリード名義で発表したシングル「STAY ON MIND / THE ANTHEM」が注目を浴びると、翌年からSTRICTLY RHYTHMレーベルへ移籍し、94年の大ヒット「THE WITCH DOCTOR」をリリース。

ハウス/テクノなどジャンルを問わずヘヴィー・プレイされたこの曲によってアーマンドの名が世界的に有名になると、リミキサーとしての依頼が相次いだ。

特に97年にUKでNo.1ヒットになったトーリ・エイモスの「PROFFESSIONAL WIDOW」は彼のリミックスがあってこそのヒットと言われている。同年ffrr/Londonから初のフル・アルバム「サンプルスレイヤ:エンター・ザ・ミート・マーケット」、99年には2nd『トゥー・フューチャー・フォー・ユー』をリリース。『トゥー・・・』からシングルカットされ世界的に大ヒットした「ユー・ドント・ノー・ミー」は、現在音楽シーンの大潮流となっているフィルター・ハウスの始まりだと言われ、その後のハウス・ミュージックの流れを決定付けた。

2000年には早くも3rdアルバム『キリング・ピューリタンズ』を発表し1stシングル「COOCHY」やラッパーのコモンらをフィーチャーした「FULL MOON」などのヒット曲を送り出した。